カテゴリー別アーカイブ: LINKED vol.14 タイアップ

LINKED vol.14 タイアップ

次ページへ »

LINKED Vol.14:名古屋第二赤十字病院

2014年7月3日 木曜日
百年の時間(とき)を紡ぐ、受け継がれる<八事日赤>の看護を。すべての人の、明日のために。 鈴木二三子(第2代看護部長)・片岡笑美子(副院長 兼 看護部長) /名古屋第二赤十字病院   平成26年、創立100周年を迎える、名古屋第二赤十字病院。通称、八事日赤。その長い歴史は、看護師養成に心血を注いできた歩みともいえる。人道・博愛の赤十字精神をベースにした同院の看護師教育の伝統とは何だろうか。同院の看護における草分け的存在ともいえる鈴木二三子第2代看護部長、そして現役で活躍する片岡笑美子副 [...]

LINKED Vol.14:名古屋第二赤十字病院


1,661 views

シアワセをつなぐ仕事

百年の時間(とき)を紡ぐ、
受け継がれる<八事日赤>の看護を。
すべての人の、明日のために。

鈴木二三子(第2代看護部長)・片岡笑美子(副院長 兼 看護部長)

/名古屋第二赤十字病院


 

main

平成26年、創立100周年を迎える、名古屋第二赤十字病院。通称、八事日赤。
その長い歴史は、看護師養成に心血を注いできた歩みともいえる。
人道・博愛の赤十字精神をベースにした同院の看護師教育の伝統とは何だろうか。
同院の看護における草分け的存在ともいえる鈴木二三子第2代看護部長、そして現役で活躍する片岡笑美子副院長 兼 看護部長の2人に話を聞き、今に至る八事日赤の歴史をひも解いた。

 

 

 


病院は、看護師を育てるための研修施設。
すべては、社会で、世界で
活躍する看護師を育てるために。


 

 

 

伊勢湾台風を契機に総合病院、そして急性期病院へ。

 Plus顔写真2 名古屋の基幹病院として、救命救急センターや総合周産期母子医療センター、災害拠点病院、地域がん診療連携拠点病院などに指定され、地域医療に貢献している名古屋第二赤十字病院。同院が今日のような高度急性期病院に成長した契機となったのは、昭和34年、東海地方を襲った伊勢湾台風だという。「屋根瓦は飛び、雨漏りがするなど、当院も大きな被害を受けました。でも、自分たちのことより、当院に駆け込んできた人たちの医療救護にあたり、医師や看護師が救護チームを組んで、台風の翌日から被災地へ赴き、不眠不休の救護活動を行いました」と当時を振り返るのは、同院の第2代看護部長・鈴木二三子である。
 この台風は名古屋の街の発展に大きな影響を与えた。土地の低い場所で甚大な浸水被害を受けた教訓から、街全体が東部の丘陵地帯へ向かってどんどん発展したのである。それまで同院の周囲はうっそうとした山林だったが、住宅が次々と建設され、人口が増加。地域住民から総合病院を求める声が持ち上がり、同院は毎年のように増築を繰り返し、診療科と病棟を増やし、救急医療も担うようになっていった。
 また、その急成長の原動力となったのは、当時の富永健二院長の揺るぎない信念だという。「富永先生は『病気は昼だけのものじゃない。24時間医療が必要なのだから、それに対応していかなくてはいけない』と言われ、みんながその方向へ突き進みました。あの当時の結束力の強さは、今でも誇りに思います」と鈴木は振り返る。<医の原点は救急医療>という同院の病院理念は、まさにこの時代に生まれたものである。昭和50年には、全国でもまだ珍しいICU(集中治療室)を開設。続いてSCU(脳卒中集中治療室)、CCU(心疾患集中治療室)、さらにNICU(新生児集中治療室)を開設し、同院は高度急性期病院へと大きく発展していった。

 

 

「安らぎ」を患者に提供するのが、八事日赤の<看護>。

結核療養所 高度急性期病院として発展を続ける同院。だが実は、その起源は「結核療養所」にあることを知る人はそう多くはないだろう。明治時代後半、結核予防に対する世界的な気運が高まり、日本赤十字社は結核予防撲滅運動を開始。それを受けて、日赤愛知支部が大正3年12月「日赤愛知支部八事療養所」を開設したのが、同院のルーツである。
 鈴木が同院に入職したのも、結核療養所だった時代である。結核といえば、その頃は不治の病。特効薬はなく、充分な休養と栄養、そして、新鮮な空気と日光浴が延命になると考えられていた。生きたいけど、生きられない。そんな悲しみを抱え、徐々に体力を失っていく患者たちに、鈴木たちはどんな看護を提供していたのだろうか。「結核には特別な治療もなく、3種類の薬を患者さんに飲んでいただくだけ。ただ、医師の補助業務が少ない分、患者さんにじっくり向き合えました。私たちが何よりも大切にしたのは、赤十字の人道・博愛の精神に基づいて、患者さんの苦痛を少なくして、安楽に療養していただくこと。<安らぎ>を感じてもらうにはどうすればいいか、という思いだけでしたね」と話す。
 看護とは、人の命に寄り添い、生命力の消耗を最小限におさえ、自然治癒力を高めるように働きかけること。患者一人ひとりに寄り添う看護が、すでにこのときに実践され、その<看護のこころ>は百年の時を超えて、今日まで脈々と受け継がれてきたのである。

 

 

伝統に培われた看護師の卒後教育。

IMG_0527 結核療養所をルーツとして、総合病院、そして高度急性期病院へ。その発展の歩みのなかでもっとも苦労したのは、「看護師の採用活動だった」と鈴木は言う。周囲を見渡せば、病院に看護学校を併設し、難なく看護師を獲得しているところも多く見られたが、同院には併設の看護学校がなかったのだ。「遠いところでは九州の看護学校まで出向いて、求人のお願いをして回りました」(鈴木)。
 こうして全国から集まった看護師は、看護に対する考え方もやり方もまちまちである。赤十字看護専門学校で学んできた者もいたが、その人数は全体の1割程度だったという。異なる学びを積んできた看護師をどう育てていくか。ここから、同院の本格的な卒後教育の歴史が始まったといえるだろう。鈴木たちが考えたのは、「みんなで学び、お互いに高め合う場」を設けること。その一つが今日まで続けられている「全員参加の看護研究発表会」である。「たとえば、感染対策や症例検討など、各病棟ごとにテーマを決めて、看護の課題や成果を発表し合いました。これが非常に良かったんです。看護師同士のチームワークが生まれ、看護の質も向上しました」と鈴木は語る。
 また、同院では早くから、赤十字の使命である災害救護に貢献する看護師の育成に力を注いできた。第3代看護部長・上田豊子の在任中には阪神・淡路大震災があり、多くの看護師を被災地へ派遣した。続く第4代看護部長・杉浦稜子の在任中には、同院が日本赤十字社より国際医療救援拠点病院に指定されたこともあり、救護員育成の必要性が高まり、救護看護師を養成するための教育システムが構築された。
125_YagotoNisseki_Linked2014 赤十字看護専門学校では、在学中に災害救護について学ぶが、同院では赤十字の出身者はむしろ少数派である。そのため、同院では入職後、出身校に関わらず、赤十字精神に基づく災害救護について学ぶ教育体制が整備されたのである。副院長であり、看護部長の片岡笑美子は、そこに同院の看護師教育の特徴があるという。「当院では、看護師全員が赤十字精神を理解し、赤十字の看護を実践できるように育てています。その教育方針は今も昔も変わりません」。
 出身校は関係なく、八事日赤に入職してから、赤十字精神を学び、八事日赤の看護師に育っていく。そして、その根底にあるのは、結核療養所時代に培われた<看護のこころ>に他ならない。

 

 

八事日赤卒の看護師を社会へ、世界へ送り出していく。

Plus顔写真1 看護師の卒後教育を行う上で、同院には赤十字病院ならではの特別な意識がある。それは、「病院で役立つ看護師ではなく、社会に貢献する看護師を育てよう」という志だ。
 それは、日本赤十字社の看護師養成の歴史を見るとよく分かる。そこには「日本赤十字社は、救護看護師を養成するため、明治19年に、博愛社病院(現・日本赤十字社医療センター)を設立しました」と記載されている。すなわち、看護師を育てる目的がまずあって、その研修施設として病院が位置づけられているのである。
 「世界の赤十字組織を見ても、病院を持っているのは実は日本ぐらいなんです。なぜ病院を持っているかというと、<平時は病院で研修を積んだ看護師を、いざというときに派遣する>ため。それは当院でも同じです。万一のときに看護師たちがすぐ動けるようにいつも体制を整えているという考えがベースにあります」と片岡は説明する。同院の看護師教育は、病院内の看護に留まらず、国内外の災害救護に貢献する人材の育成、さらに有事だけでなく、社会に貢献できる看護師の育成をめざしている。国救-さしかえ
 病院という枠組みにとらわれず、地域医療全体で看護師の力が求められている今、同院の看護師教育はまさに時代のニーズに合致するといえるだろう。百年の歴史を経て今、八事日赤から社会へ、世界へ羽ばたく看護師をこれからも育てていこうとしている。

 


 

 

columnコラム

●名古屋第二赤十字病院では、自然災害や大事故の際に、いち早く現地へ救護員を派遣している。国内では、昭和34年の伊勢湾台風、平成7年の阪神・淡路大震災など。記憶に新しい東日本大震災では、延べ109名もの看護師を派遣した。海外においても、スマトラ島沖地震、ハイチ大地震など有事の際に、被災者救援に尽力してきた。これまで海外に派遣した看護師は延べ112名に及ぶ(平成26年5月現在)。

●こうした突発的な災害に対応するため、同院では平素から救護班を編成し、救護訓練に力を注いでいる。また、災害救護や国際救援は、派遣される職員だけの任務ではない。職員が派遣されている間の業務を、他の職員が担うことが重要となる。派遣される職員も、送り出す職員も、ともに被災者救援や災害復興に貢献する気概を持ち、病院全体で赤十字の人道的任務を果たしている。

 

backstage

バックステージ

●看護師は学校を卒業し、国家試験に合格したからといって、すぐに一人前の看護師になれるわけではない。病院に入職し、臨床現場でさまざまな体験を通じて、一つひとつ看護技術を身につけ、科学的根拠に基づく看護実践能力を獲得していくことで、ようやく一人前の看護師になる。その意味で、病院は、名古屋第二赤十字病院のように、「看護師を養成するための研修施設」という役割を担っている。

●また、看護師は自分自身を成長させ、一生学び続ける職業でもある。とくに、これからの超高齢社会を考えたとき、在宅や施設など、看護師の力が必要とされる領域が多方面に広がっている。看護師にとって、病院はゴールではなく、スタート地点。そこから先の社会を見据えて、自己研鑽を積んで成長していくような意識を、個々の看護師が持つことが重要なのではないだろうか。

 

 


1,661 views