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病院を知ろう

自分の可能性を信じた私。
それを受け入れてくれた病院。

 

 

総合犬山中央病院


mainモデル、経営者、タレント――、異色の経歴を持つ研修医。
そのリスクと真摯な思いを病院全体で受け止め、
地元出身の医師を育てていく総合犬山中央病院の研修医教育。

医師になろうと決意したのは、30歳を過ぎてから。文系出身のエステサロン経営者が、わずか1年の勉強で医学部へ――。
そんな異色の女性医師が今、総合犬山中央病院で初期研修を受けている。
そこには、「女性にとってのQOL(生活の質)」を一貫して追求し、「医療を通じて地元に貢献したい」という彼女の強い意欲と、
「地元出身の医師を育てたい」と願う病院のゆるぎない信念があった。

 

救急外来で活躍する医師は、40代にして1年目の研修医。

起  2月のとある土曜日。総合犬山中央病院の救急外来に、救急車で1人の高齢者が搬送されてきた。その対応にあたる40代の女性医師。彼女はまず初期対応を行った後、予断を許さない状況だと判断したのか、すぐさま別の医師を呼んだ。到着した医師と一緒に心電図を見ながら、迅速に処置を行う女性医師。そして、自らの足で救急外来を訪れた患者たちにも滞りなく対応していく。その仕事ぶりを見ると、実にイキイキとし、輝いていた。
 この女性医師の名前は、近藤千種。実は、40代にして初期研修1年目の研修医だ。総合犬山中央病院で、医師免許取得後、医師法で義務づけられた2年間の初期研修を受けている。救急外来での業務も、研修医に課せられた教育カリキュラムの一部。初期研修1年目の近藤医師は、指導医のサポートを受けながら、月3回の当直を担当している。
 「今日は土曜日なので患者さんも多いですかね。多い日には一晩で10台くらいの救急車が搬送されてくることもあります。最初は何も分からず戸惑いましたが、大学病院などとは違い、キャリアの浅いうちからいろいろな経験が積めるのでやりがいがありますね」。そう話しながら時折見せる近藤医師の笑顔は、念願の医師として働く充実感で満ち溢れていた。

 

 

医師になると決意したとき、すでに30歳を超えていた。

215104  医師をめざそうと決意したのは、30代に入ってからだ。それまでは名古屋市内で美容関係の会社を経営していた。エステサロンを2店舗出店、利用者の美容に関する悩みを聞くうち、健康に関するアドバイスを求められる機会が多くなっていく。そこで彼女は、女性にとって<美しくあること>が、自分らしく生活していくために大切だということ、そして、的確なアドバイスをするためには、医学的な根拠に基づいた知識が必要だということを痛感していく。「医師になったら、女性の悩みをもっと解決してあげられるんじゃないか」。医師をめざしたのは、そうした素直な気持ちからだった。
 だが、医師になるためのハードルは、生半可なものではない。年齢はすでに30歳を超え、しかも、彼女が卒業したのは文系短大だった。「物理はちんぷんかんぷん、化学もどこまで元素記号が言えるかというレベル。センター試験も数Ⅰまでしか勉強していない。そんな状況からのスタートでした」。医学部受験のために予備校へ入学するも、講師からは「君が3年で医学部に受かったら奇跡だよ」と言われたという。
 30歳を超えているため、3年後の入学では年齢的に厳しい。そこで、「1年だけ勉強して不合格なら諦めよう」と腹をくくり、勉強を開始した近藤医師。そして、彼女の努力が奇跡を生む。わずか1年で医学部に合格したのだ。「女性の悩みに応えられる医師になりたい」。そんな思いから沸き上がった夢への扉が、一気に開けたのだった。

 

 

モデル、経営者、タレント、そして医師へと転身。

転1 医学部入学後も、彼女の人生はまるでジェットコースターのようにめまぐるしいものだった。エステサロンを経営する前から、長らくモデルとして活躍し続けてきた近藤医師。医師になるために東京の大学に進学した後は、在京の芸能事務所に所属し、勉学と並行してタレント活動を本格始動させる。「エステ事業を継続するのが難しくなり、やむなく休業することにしたのですが、常に動いていないと気が済まない質なので」と近藤医師。そこから215027は、今までのキャリアを活かし、DJやレースクイーンとしても活躍する。
 医学部で勉学に励みながら、芸能活動も行うというハードな日々。当時を近藤医師はこう振り返る。「試験を受けて、仮眠を2時間とって、そのまま朝まで徹夜で勉強して試験を受けに行くとか、本当に不規則な生活を送っていましたね」。そして、医師という夢を実現するための勉学と、「女性として」自分らしい生活を両立させた近藤医師は、結局、1年間休学するものの、7年間で医学部を卒業する。その間に、結婚、そして出産までも経験していた。
 そんな近藤医師が、研修先に総合犬山中央病院を選んだのは、犬山市出身だったから。「祖父母が犬山中央病院にお世話になったこともあり、地元の医療に貢献したいという気持ちが強かったんです」。また、子育てとの両立を考えると、母親の協力を仰げるのも理由の一つだった。さらに、「たくさんの経験が積めること」も大きかったという。「研修医が少ないことで、早い段階からある程度責任を持って、一人でやらせてもらえる環境がある。それが一番のメリットだと感じています」。故郷である犬山市に少しでも貢献できる医師をめざして、彼女の奮闘は今後も続いていく。

 

 

 一人でも多くの医師を育てたいと願う病院の信念が彼女を受け入れた。

Plus顔写真  「本当に真面目な方なんですよ」。指導医の竹腰 篤呼吸器内科部長は、近藤医師をこう評価する。「キビキビと業務を行うし、反応も機敏。とても好感を持ちました」。もちろん当初は、周囲に彼女を色眼鏡で見る向きも少なからずあった。しかし今では、彼女が見せる医師としての真摯な姿勢から、周りにも温かい目で見守る空気が自然と生まれてきているという。「地域に対する愛着も強いし、できれば当院の貴重な戦力として力を発揮し続けてもらいたい。高校卒業後、すぐに医学部に入学して医師になった方とは違い、彼女には社会人としての経験があります。そこでの経験を活かした今後の活躍に期待しています」。
 病院側としては、すでに40歳を超え、特殊なキャリアを持つ研修医を受け入れるのは、それなりのリスクがある。一つは、年齢的に医師として活躍できる期間が圧倒的に短いこと。そしてもう一つは、彼女のキャリアから患者には穿った目で見られてしまうことだ。それでも彼女を受け入れたのは、面接で「不真面目な医師になるように思えなかった」こと、さらには、病院運営に支障が出るリスク以上に、「一人でも多くの医師を育てたい」という同院の強い使命感があったからだ。
 今後、近藤医師はどのような道に進むのか。彼女が、今大きな関心を持っているのは乳腺外科だ。「乳がんは女性のなかで一番羅患率の高い腫瘍です。いくら命のためとはいえ、女性にとって乳房を失う喪失感は計り知れません。現在、乳がんは、切除以外にいろいろな治療法が開発されている最中です。私は、患者さんの腫瘍と真っ直ぐ向き合いながら、QOLも上げていきたいんです」。
 近藤医師には、あえて意地悪な質問をぶつけてみた。「タレント兼女医のような立ち位置をめざしているのか」と。すると彼女は「それは考えていない」と首を振った。あくまで女性の目線を大切にし、真摯に地域に貢献できる医師をめざす異色の研修医と、それを温かい目で見守る指導医たち。ここにも、医師教育の一つの姿があった。

 


 

columnコラム

●総合犬山中央病院は、犬山市の中央に位置する中核病院だ。犬山市には以前から自治体立の病院がなく、公的な病院を望む声が大きかった。そんな声に後押しされ、1982年に開院されたのが、医療法人社団志聖会犬山中央病院である。2014年4月には、社会医療法人の認可を取得。これに合わせて、病院名を「総合犬山中央病院」へと改称した。

●同院の医療圏は、犬山市を中心に愛知県扶桑町、大口町の一部、岐阜県各務原市東部、可児市西部地区まで広がる。二次救急医療機関として、時間外や休日にも救急搬送を受け入れ、救急車受け入れ台数は、年間およそ1900台。24時間365日の救急医療を提供している。同院内には、すべての疾患に対応できる救命救急センターのような高度先進医療機能はないが、総合的な診療機能を発揮することで、地域医療ネットワークの「司令塔」として、近隣の三次救急医療機関への重要な橋渡し役を担い続けている。

 

backstage

バックステージ

●医学部には、社会人を経て、または別の学部を卒業して医学部に入り直す人たちがいる。こうした人たちのキャリアや年齢は実に多彩で、社会経験豊富な40代、50代もいれば、理工系の学部を卒業、または中退してすぐに医学部に入る20代もいる。

●彼らのような医師が増えることのメリットは何だろうか。それはやはり、社会人として生活を体験してきていることや医学以外のことを勉強していることだろう。高校卒業後、医学部に入学して医師になる者に比べ、彼らには既成概念にとらわれない多様な価値観・多様な問題意識を医療の現場に持ち込む可能性がある。

●しかし、彼らが医師になるまでの道のりを考えるとき、そのハードルの高さに愕然とせざるを得ない。勉強面、金銭面、年齢の壁など、非常に高い障壁が待ち構えているのが現実だ。社会人経験を持った医師を育て、どのように活かしていくのか。これも医師教育が抱える課題の一つなのかもしれない。

 


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