13,321 views

病院を知ろう

命を救う。
そのための技術をどこまでも追い求める匠の教え。

 

 

大垣市民病院



main志の高い者にこそ、来て欲しい——。
20年間365日、命を救うために
研鑽を続ける<外科医>の医師教育。

 単に手術数が多い病院から、質を伴った病院へ。ある外科医のたゆまぬ努力が、大垣市民病院を「一流」として支え続けてきた。
20年間365日、休みなく修練を続けてきた「確かな技術」。
それが今、次世代を担う医師へと着実に伝承されようとしている。
そこには「外科医というアスリートたち」だけが理解し共感できる、独自の教育方針があった。

 

 

医療を変えてきたスーパードクターの存在。

210126 さかのぼること今から20年前、当時の大垣市民病院は、すでに圧倒的な手術件数を誇る病院として知られていた。だが、
 一人の医師の目には、「確かに数は多いが、質が伴っていない」と映った。「量じゃない。質を上げないといけない」。赴任したばかりのその若い医師は、そう心に固く決意する。このときの医師こそ、現在、外科部長兼消化器外科部長を務める金岡祐次医師だ。
 「患者さんはたくさん来てくださるものの、質の高い手術ができていなかった。極端な話をすれば、高度な技術を要しない手術を数多く行っている状況でした。だから、まずは私の専門である肝臓、胆のう、膵臓の領域で、レベルの高い手技を導入したのです。すると噂を聞きつけて県外からも患者さんが集まるようになった。こうして好循環が生まれていきました」。
 金岡医師は大学病院でも実施が難しい手術を次々と行い、その症例数を積み重ねていく。例えば、20年前には、肝切除手術は年間20例ほど。これが金岡医師の赴任後10年間で、年間100例にまで大幅に増加した。そして、これを元に学会発表や論文の作成に力を入れ、多くの医師たちに大垣市民病院の手術レベルを周知。患者の紹介を引き寄せる力になっていった。
 20年間365日。休みなく努力を積み重ねてきた一人の外科医が、現在の大垣市民病院の礎を地道に築き上げていったのだ。

 

 

外科医は、「解剖学」。これを基礎にしながら 「短時間」を追求し続ける。


Plus顔写真1 外科医はいわば職人である。圧倒的に技術がものをいう世界だ。だからこそ視力や反射神経、筋力などすべての面で一流であらねばならない。だが、長らく大垣市民病院の外科を牽引してきた金岡医師は、今年で56歳を迎える。肉体的にはすでにピークを過ぎた年齢だが、今なお、さらなる高みをめざして研鑽を続けている。
 現在、金岡医師は、経験豊富な開腹手術だけでなく、侵襲の少ない腹腔鏡手術にも果敢に取り組んでいる。「50代半ばにさしかかり、一般的な開腹手術をやり尽くした私のような男が、あえて腹腔鏡手術を一からやり始める。これが大事だと思う。大学病院ならすでに教授クラスの年齢ですし、一から腹腔鏡手術をやるかといったらたぶんやりません。でも、上に立つ人間が自分の姿で見せるべきだと思うのです」。
 そんな金岡医師が最も大切にするのは、とにかく手術を早く終わらせることだ。現在では、手術時間が長ければ、その分、予後に悪影響を及ぼす。金岡医師が腹腔鏡手術に取り組むのは、患者の選択肢を増やすため。「あくまで外科医の基本は解剖学だと思う。それを基礎にした上で開腹手術や腹腔鏡手術がある。最近では腹腔鏡手術ありきの風潮もありますが、そうじゃない。腹腔鏡手術の欠点を補うためにも、これからも開腹手術という選択肢はなくならないと確信しています」。
 新たな技術を貪欲に求め、最適な手術を行えるように自分をブラッシュアップし続ける。ストイックに理想の手術を追い求めるその姿は、さながらアスリートの姿を見るかのようだ。

 

 

匠をめざす医師たちの 「アスリート養成所」。

210137 「なぜ大垣市民病院の外科は、金岡一人しかいないのにあれだけの手術ができるのか。当初はそんな風に言われました。あまりの珍しさに大学から見学が来るぐらいでしたから。でも、一人でもできるんです」。こう言い切る金岡医師。非常に高度な外科手術となれば、当然のように他職種を含めたチームで動く必要がある。それでも、「個の力」が最も重要だと金岡医師は説く。
 神の手、スーパードクター…。腕利きの外科医たちがそんな言葉で喝采をあびる一方で、「一人の外科医がいるだけではだめだ」と冷ややかな眼差しを向ける論者も少なくない。だが、金岡医師はこうした論調を真っ向から否定する。「例えば、私が周りのレベルに合わせたらどうなるか。患者さんに提供できる医療のレベルを落とすことになります。だから私が一人浮いたとしても、100%の力を出し切る。私が下がるのではなく、みんなが上がってこい。それが私の考え方です」。常に100%の力を発揮することで、周囲が「できない」と思うことをやって見せる。自らその姿を見せることで、チーム全体が徐々に成長していくのだ。
 「私が求める一流の外科医の資質は、すべての人に備わっているわけではありません。でも、最初から『あきらめなさい』とは言いません。今までもこの病院で求められることができず、去っていった若い外科医もいます。ただ彼らも去っていった先では、充分に力を発揮できるだけのスキルを身につけている。こうした教育方法は、私独自のやり方ですが、決して間違っていないと思います」。
 トップアスリートである指導医が、自ら手本を見せる。その姿を見ながら、次なるアスリートが育っていく。ダントツのナンバーワンをめざした教育。そんな医師教育も、未来の医療を支える上で大切な教育法の一つなのかもしれない。

 

 

英才教育を受けた者には敵わない。だから、私は大垣市民を選んだ。

Plus顔写真2「金岡先生といえば、やっぱり手術です。『本当に人がやっているんだろうか』と驚嘆したことが結構ありますよ」。そう金岡医師を評するのが、現在、金岡医師のもとで研修を受ける大塚新平医師だ。彼が大垣市民病院を選んだのは、学生時代に所属した卓球部での経験が根底にある。「私は中学時代から卓球を始めましたが、どうやっても小さな頃から練習してきた人には勝てない。それを肌で感じていました。だからこそ、外科医として圧倒的な技術を身につけるためには、<強豪校>で医師としてスタートを切りたい。そんな発想から、厳しい環境の大垣市民病院で自分を鍛える決断をしました」。
210112 大学卒業後の医師は、国が定めた2年間の初期研修と、その後3年間の後期研修を経て一人前の医師へと育っていく。後期研修3年目の大塚医師は、大垣市民病院での教育を振り返りながら、「この病院で学ぶ本当の価値は、後期研修にこそある」と話す。「忙しく、とにかく手術件数が多い。私自身、年間100例ほどの執刀を担当しています。確実に技術が身につく環境だと思いますね」。
 「志なきものは去れ」。大垣市民病院は、それほどに厳しい修練の場だ。だが、意外にもその門を叩いたものが志半ばで辞めるケースは少ない。そこには研修医が高い志を持てるだけの環境があるからだ。「最高峰をめざしたい」。「一流の技術を身につけたい」。匠の技を手にしたいと願う求道者にとって、大垣市民病院はまさに理想の場であるに違いない。

 

 

 


 

column

 

コラム

●大垣市民病院は、圧倒的に多くの症例数を抱えている。そのため、本文で登場した外科に限らず、研修医の教育は「質より量」が基本とされてきた。膨大な経験を積ませることで、「骨の髄まで覚えこませる」というのが、伝統的な教育スタイルなのである。どんな治療をすればいいのかを瞬時にイメージする力、適切な検査や治療方法を選ぶ力など、研修医たちはさまざまな症例を経験するなかで、多くの気づきを得て、着実にスキルを高めていく。

●ただ、 同院では、専門的な技術を身につけるための症例が充分にあることから、逆に一般的な症例に対する教育が手薄になりがちだった。そこで近年は、初期診断のスペシャリストである総合内科の医師が主導し、研修医が初期診断を学ぶためのカリキュラムも整備している。従来の高い専門性に加え、医師の基礎となる総合性もきちんと学べる。そんな環境が整備されているのが、同院の医師教育の特長だ。

 

 

backstage

バックステージ

●「外科医たるもの、休みはないのが当然です。もちろんずっととは言わないですが、若いうちは365日病院に出るぐらいの気概がないと、一人前にはなれないです。それに、患者さんの術後管理のことを考えたら、休めるでしょうか」。これは金岡医師の言葉である。外科医の本質とは、専門を究め、技術を究めること。技術の習得には圧倒的な手術件数をこなす経験が必要だが、その裏には、技術を磨こうと常に研鑽に励む「圧倒的な自己犠牲」がある。

●野球に例えるなら、ハイレベルな環境下にある大垣市民病院は、さながら「メジャーリーグ」といったところだろう。外科医として、そこまでの高みをめざさないのであれば、むしろ別の病院を選ぶ方がいい。忙しいのは承知の上で、あえて超一流をめざしたい。そんな人たちこそが集う場所なのだ。だからこそ、20代は死に物狂いで修練に励まないといけない。目標は最先端の医療を担うスペシャリスト。同院はそんな医師が学ぶ教育の場なのである。

 


13,321 views