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シアワセをつなぐ仕事

看護の本質とは、「寄り添うこと」。
それに気づかせてくれた、尾西病院。

河邊智子/尾西病院 内科病棟


 

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看護とは何なのか。そんな本質的な問いに対し、
何の疑念や躊躇もなく即答できる人が、どれだけいるだろう。
尾西病院で勤務する看護師も、その問いに、しばらく押し黙った。
そして、彼女が絞り出すように導き出した答えは、「一緒に寄り添うこと」だった。
看護の本質とは、看護師のあるべき姿とは——。
ある看護師の物語が、私たちに「答え」を突きつけてくる。

 

 

 


彼女の「長い沈黙」が、その重みを雄弁に語っているかのようだった。
患者に寄り添うこと。
その大切さを実感できた、尾西病院という学びの場。


 

 

 

看護の本質に気づかされた、母親と、あるがん患者の死。

Plus顔写真1 「……………」。それは、ひときわ長い沈黙だった。「看護とは何か」。自らの存在意義を問うかのような質問に、彼女は慎重に言葉を選びながら、こう答えた。「一緒に寄り添うこと」。
 尾西病院の内科病棟に勤務する河邊智子看護師。彼女がこれほどまで言葉を選んだのには、理由がある。彼女の母親の死と、元看護師のあるがん患者との出会い。その経験を今一度心で振り返り、自分の言葉として紡ぎ出したからである。
 「今年でもう7回忌になりますかね」。彼女の母親だ。61歳の若さで他界した。「がんが発見され、そして私が母親の最期を看取ったのです」。看護師として、患者の家族として。がんで苦しむ母親と真正面から向き合い、彼女はたくさんのことを感じ、学んだ。
 「ほら、こうやって髪が抜けるんだよ」。その患者は、身をもって河邊看護師に抗がん剤の苦しみを伝えた。33歳で亡くなった元看護師の末期がん患者だ。同じ女性、そして、小さな子どもの母親だった。「ちょっと足音が気になるよ」。「麻薬を使うと本当に痛みが取れるんだから」。看護師の視点から、いろんなことを教えてくれた。「もう楽になりたい」。そう口にしながら、酸素吸入を続ける身体で我が子の入園準備をする。その姿に胸が痛んだ。そして、最期を迎えた瞬間、周囲の目もはばからず、家族と一緒に号泣した。
 末期がんであることは、本人も熟知していた。他の病院を選ぶ選択肢もあった。それでも、「この病棟のスタッフが好きだから、ここで治療したい」と言ってくれた。自分はきちんと看護ができているのだろうか。当時、自らの未熟さに思い悩んでいた河邊看護師は、その言葉に救われた。

 

 

看護師をめざした理由も、叔父のがんがきっかけだった。

409120 河邊看護師がこの道をめざそうと思ったのは、小学6年生の頃。彼女の叔父が、尾西病院にがんで入院し、看護師に支えられる光景を見たのがきっかけだ。「すでに末期がんだった叔父に寄り添い、本人に未告知のなかで、家族へのフォローにも力を注ぎ、こちらの悩みや苦しみを和らげていただきました。その姿を見て看護師の仕事に魅力を感じたのです」。
 その後、高校を卒業し看護学校へ進学。尾西病院しか眼中になかった彼女は、修学金を貰いながら、安城にある同じ厚生連看護専門学校で学び、寮生活を送る。看護学校は正直、「大変だった」と振り返る。「なかでも実習がきつかった。患者さんと疾患の両方を見て、看護を展開していくやり方がうまく想像できなくて」。
 そして彼女は、卒業後、念願だった尾西病院の門を叩く。「私のなかで、看護師として働く場所=尾西病院でしたから」。最初に勤務したのは、産婦人科と小児科、整形外科の混合病棟だった。「私は整形外科が希望でした。実習先でも、疾患から回復する姿が一番目に見えて分かりましたし、患者さんを支えているという達成感がありましたから」。
 ただ、彼女が勤務したのは混合病棟だった。整形外科病棟であると同時に、婦人科病棟でもある。そしてがん患者と関わるなかで、彼女の看護観も少しずつ変化していった。「患者さんとの適度な距離感など、仕事をするなかでたくさんのことを学びました」。

 

 

看護師のあるべき姿とは、「キュア」ではなく「ケア」。

409048 ターミナル(終末期)に向かう患者と関わるなかで、彼女が実感したもの。それは、「ケア」の大切さだった。27歳で経験した母親の死、元看護師のがん患者との出会いと別れ…。さまざまな経験を糧にしながら、彼女は徐々に寄り添うことの重要さを学んでいった。
 最初は、患者の死と向き合う現実を、受け入れられずにいた。患者の家族と一緒に号泣した。プロとしてはダメだと彼女自身も思う。ただ、たくさんの患者と関わりを持つなかで、徐々に彼女なりの看護のあり方を見つけていった。
409075 「元看護師の患者さんは、『雰囲気が良かった』と言ってくれました。身体がつらい状況を察して適度に距離を保ち、調子がいいときには気分転換のために話し相手になる。そんな接し方が良かったみたいです」。残された人生を悔いなく過ごしてほしい。だから、酸素をつけて何とか外出できないかと、病棟のスタッフみんなで知恵を絞った。予備の酸素を何本も携行してもらい、家族の方への指導も徹底した。「結局、外出することができ、ものすごく喜んで帰ってこられたのです」。患者を心から想う気持ちが、実を結んだ瞬間だった。
 医療の世界では今、超高齢社会を背景に、「キュア(cure)」から「ケア(care)」への転換が叫ばれている。「キュア」とは、疾患を治療すること。一方の「ケア」とは、患者の世話や看護などの医療的な援助を指す。
 看護師のあるべき姿とは、どんなものなのか。現在、「キュア」の部分に重点を置いた看護に目がいきがちである。だが、終末期を迎えた患者が、人生を全うし、幸せな最期をどう迎えるのかを考えたとき、もっと「ケア」の部分が大事にされなくてはならないのではないか。そして、この「ケア」こそ、看護師がその力を存分に発揮できる領域であるはずなのだ。

 

 

河邊看護師を成長させたのは、ケア思考の看護師を育む土壌。

Plus顔写真2 患者に寄り添う。そんなケアの視点が尾西病院で育まれてきたのはなぜか。それは、今まで歩んできた病院のあり方にも大きな理由がある。「当院には以前、精神科が100床ありましたが、今では約50床に減少しています。そのため、精神科の看護師がそのまま一般の診療科に散らばりました。他科よりも、より患者の心に重点をおいた看護を必要とする精神科。そこで経験を積んだ看護師が各所にいることで、病院全体で患者の心に深く寄り添う看護を実現できているのです」と伏屋小夜子看護部長は話してくれた。ケア思考が染みこんだ看護師たちが、患者と適度な距離感を保ち、寄り添う。その姿が、河邊看護師のような新たな人材を育成する土壌となっているのだ。
 409084平成26年4月から内科病棟へと異動した河邊看護師。そこでは入院期間が短く、退院に向けた調整や支援が大切であり、多職種との連携も欠かせない。今は試行錯誤を続ける日々だ。
 そんな彼女の目標は、「入院時から退院支援まで、きちんと看ていけるようになること」。訪問看護ステーションや地域包括支援センターを持ち、介護・福祉分野に強みを持つ尾西病院で、彼女は「在宅へと続く看護」という新たな目的地に向けて歩み始めている。


 

 

columnコラム

●稲沢市祖父江町にある尾西病院は、戦後の混乱が続く昭和20年11月、愛知県農業会尾西診療所として開設された。その後、昭和23年の愛知県厚生連の発足に伴い、同会に移管。一般病床199床、全体で約300床の中規模病院でありながら、年間約1800台の救急搬送を受け入れるなど、稲沢市近郊の地域医療を担う急性期病院だ。

●同院では、急性期医療を担う一方で、療養型病床群を持つほか、訪問看護ステーションや地域包括支援センターを展開しているのが特徴だ。各地で急性期病院の機能分化が進むなか、急性期、回復期、在宅までを幅広くカバーし、医療・福祉・介護を担うハイブリッド型の病院として機能している。現在、厚生労働省では、高齢者が可能な限り住み慣れた地域で医療や介護を受け続け、自分らしい人生を送るための地域包括ケアシステムの構築を推進しているが、尾西病院ではこれに必要なすべてのユニットを自ら備えている。

 

backstage

バックステージ

●高齢化がますます進行するなか、最期を迎える私たちが必要とするものは、おそらく「キュア」ではなく、「ケア」だろう。しかし、ケアとは一体何を指すのか。その一つの答えを、河邊看護師のストーリーが示してくれているのかもしれない。

●尾西病院は、高度急性期病院ではないため、看護師への教育や患者との関わりにある程度の余裕があり、しかも精神科を経験した看護師が多いという特殊な事情から、本来の看護師の姿、ケアの考え方が残っている珍しいケースといえよう。ただ、高齢者の豊かな人生を地域で支えていく地域包括ケアシステムを推進するためには、こういった看護を意識的に残す制度設計をしていかねばならない。河邊看護師のような人材を育てる仕組みを、社会としてどのように構築していくのか。医療のあり方が変わりつつある今、こうした視点の必要性を強く感じる。

 

 


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