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シアワセをつなぐ仕事

市民の生活に寄り添う病院。
そこには看護の本質がある。

高橋和恵/みよし市民病院 外来勤務


 

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入院病床122床の小さな病院。それが〈みよし市民病院〉だ。
そこでは臓器別に特化した医療ではなく、
患者を一人の人と受け止め、すべてを見つめる医療がある。
10年のブランクを経て、仕事に復帰した一人の看護師。
彼女は、みよし市民病院だからこその環境で、
自分がやりたかった看護をつかんだ。

 

 

 


自分のやりたかった看護。患者との濃密な関係。
地域密着型の病院だからこそ成り立つ、
看護師のあり方。


 

 

 

白衣の天使は、現実に疲れ果てた。

Plus顔写真1 高橋和恵看護師は、<白衣の天使>に憧れ看護師をめざした。看護学校を卒業し、名古屋市内の病院で1年働いた後、大学病院に異動。そこではおよそ2年半勤めた。どちらも消化器外科の急性期病床である。
 高橋は2つの病院での自分を振り返り、こう話す。「業務、業務に追われる毎日でしたね。上司に指示されたことをひたすら行うだけで、精一杯。患者さんとゆっくり話す時間、いえ、患者さんのベッドの側に立ち止まる時間さえ、あまり取ることができませんでした」。
 彼女が学生時代に描いた白衣の天使とは、患者と家族に寄り添う看護師である。ゆっくりと会話を重ね、生活背景をきちんと理解する。その上で、より良い生活を見つめて、治療を受ける患者とその家族をいつも身近で支援する…。だが実際は、そうしたイメージとはほど遠く、すべてが治療行為を中心に回り、そのための機能の一つとして、看護師が存在していた。
 患者さんと深くかかわりたい。自分の描いた看護を実践したい。でも、時間配分をコントロールする力はまだなく、気持ちにも余裕がない。そうした日々を重ね、ジレンマに陥る。高橋は「自分の未熟さが原因と解っていても、本当にこれでよいのだろうか、という思いが募っていきました」と言う。
 そうした時期に、結婚の話が持ち上がる。現在のご主人であるお相手は、彼女が看護師を続けていくと考えていた。だが、その看護師であることに、心身ともに疲れ果てていた高橋は、結婚をきっかけに重い荷物を降ろす決意をする。「いつか復職しよう」と心に刻みながら…。

 

 

10年のときを飛び越え、<私の看護>を見つける。

404049 10年の歳月が高橋に過ぎる。3人の子どもに恵まれ、妻と母親と主婦という生活は、彼女の宝物となっていた。その宝物を慈しみながらも、一方で、「いつか復職しよう」という思いは消えなかった。「もう一度、看護をやりたい」。だが、10年のブランクを取り戻せるか。ついていけるか。大きな不安との戦いであった。
 そして、平成13年、高橋はご主人の転勤で三好町(現みよし市)に住むことになる。一番下の子どもが幼稚園に入る。みよし市民病院が総合移転をし、看護師を大きく募集している。まさに、タイミング。「気づいたら、みよし市民病院に飛び込んでいました」と彼女は笑う。
 みよし市民病院では外来勤務となった。「想像以上に大変でしたね。技術的な面では、必死に勉強、勉強の毎日。電子カルテももちろん初めてで、戸惑うばかり」と話す高橋看護師。その姿は昔の自分と被らなかったのだろうか。
 「大きな病院と違い、当院では外来診察をじっくり行います。その間、看護師はずっと患者さんの側にいて、医師との話を聞くことができる。患者さんの思い、生活を知ることができるんです。また、医師から学ぶこともたくさんあります。例えば、同じ病名でも、患者さんによって接し方が違う。この人だからこうアプローチしてと、きめ細やかな配慮がとても勉強になります」。
 同院での外来は、患者にとって医療を受けるスタート地点だ。そこではいかに患者の情報を収集するかが大切。だが、収集をしても、次の診察日は1カ月先となることもある。「最初の頃は、『この前の診察で…』と言われて、何だったっけ?と思うこともありました。患者さんにとって、当院との時間は、生活のなかで継続しているんですね。私には多くの患者さんのなかの一人でも、患者さんにとって、私は<自分の看護師>なんです。それに気づいたとき、看護師の役割が改めて解りました。一人ひとりの患者さんの思いを受け止め、その背景を理解し、必要な治療、療養を支援する。その積み重ねこそ、看護だと思います」。
 理想と現実とのギャップに悩み苦しんだ頃。そして今。「この病院には、患者さんとの濃密な時間があります。自分がやりたかった看護が、ここにありました」。

 

 

市民の生活に寄り添う、市民のための病院。

416050 みよし市民病院は、入院病床122床。平成22年、市制施行に伴い三好町民病院から<みよし市民病院>になった。同院の経営方針が大きく方向転換したのは、それより前の同13年。一部の急性期機能を残しながらも、回復期・慢性期(療養期)、そして、在宅までを領域とする病院になったのだ。
 その決定の大きな要素として、同院を取り巻く地域性がある。大学病院と大規模病院に囲まれているのだ。そうした環境にあって、大きな病院ではできない、生活に視点を置いた病院へと様変わりしたのである。それはいわば<コミュニティホスピタル>。いつでも、どんなときでも、健康に不安を感じたときは気軽に来ることができる、市民の生活のなかに根づき、生活に寄り添う病院である。
 それから10数年が過ぎた今、我が国では、少子超高齢時代の到来を目前にして、医療は<病気を治す>から<生活を支える>に力点が変わろうとしている。急性期病院の基準が厳格化され、加えて、亜急性期・回復期・長期療養病床を明確に規定するとともに、在宅医療、外来医療を充実させるという方向性が打ち出された。
 まさに、時代がみよし市民病院に追いついた。同院では、以前よりの強みであった消化器系の治療では高度な水準を維持しつつ、市民の生活のための病院として、しっかりとした歩みを進めている。現在では<周りの大きな病院>から、自院で急性期の治療を終えた患者を、安心して送ることができる病院との評価も高い。

 

 

キュアからケアへ。医師も看護師も病院も。

Plus顔写真「当院には分野別に専門医がいます。でも、その先生たちは自分の分野以外の患者さんは診ないと、決して言いません。みんなで協力し合った形で、患者さんが適正な治療を受けることができるようにしています。そうした先生たちの気持ちが伝わるのか、外来待合室は、患者さんが遊びにきたような雰囲気。当院への信頼の深さを感じます」と尾崎真代総看護師長は話す。
 今後の地域医療において、同院のようなタイプの病院は、在宅療養支援病院として位置づけられる。それは、キュア(根治的治療)ではなくケア(生活の質を高めるための全人的な医療)に重点をおいた病院。生活者と医療を結ぶ機能である。その機能充実の一環として、同院はみよし市との連携のもと、在宅介護支援センター(地域の保健・医療・福祉を向上させるための活動拠点)、訪問看護ステーションを院内に併設。今後はさらに、介護力の強化、そして看取りまでの医療を提供する体制への拡充を見つめている。
 そうした同院にあって、看護師404122の役割はより大きくなる。尾崎総看護師長は言う。「患者さんに近いところにいる看護部として、患者さんと医師、病気と治療を繋ぐ架け橋にならなければと考えています。病院として在宅への目が強まるのなら、そうした施設や事業所との看看連携(異なる領域に存在する看護師と看護師との連携)においても、架け橋になれればと思います」。その言葉を受けて、高橋看護師は「この病院には、みよし市の市民生活があります。私は同じ市民の一人として、看護からみよし市に、住民の皆さんに、少しでも貢献したいと思っています」と微笑む。


 

 

columnコラム

●みよし市民病院では、地域と病院を結ぶインターフェイス(接触面、中間面)である、外来機能の充実に力を注いでいる。

●検査・治療機器では、64列マルチスライスCT、1.5テスラMRI、血管造影撮影装置など、実に高機能だ。

●また、看護師配置にも力点を置く。大きな病院では、メディカルクラーク(医師の補助をする事務スタッフ)が診療の進行にあたり、看護師は中央処置室にだけいるというケースが多々見られるが、同院は、内科11名、外科・整形外科7名をはじめ、病院規模と比較すると驚くほどに重点配置を行っている。

●その外来勤務の看護師は、多様な診療活動を支える。前述の検査・治療はもちろん、ときには手術にも対応。平均年令45歳の看護師たちは、地域に根づいた病院の看護師として、惜しみなく自らの心血を注ぐ毎日を送る。


 

backstage

バックステージ

●看護とは何か。本質論でいうならば、看護とは、療養の世話を通して、患者の症状を観察し、アセスメント(判断や分析)をすること。そして、必要と評価したときには、医師へと繋ぎ診療機能を起動。その際には患者の側に立って、治療を受けるための補助を行うことだ。

●そこにある、<患者の生命力の消耗を抑え、安楽にいられるかを考え援助する>という根本姿勢は、ナイチンゲールの示したとおりである。

●だが、急性期医療中心の病院では、医師の医行為をサポートする「診療の補助」を強く求められ、看護の本質とはバランスの悪いケースは多々ある。

●今後、地域医療が病院から在宅へと流れを変えたとき、生活者にとってより必要となるのは、偏った看護ではなく、本来の看護を実践してくれる看護師であろう。その先進例として、みよし市民病院の看護師たちは位置づけられるのではないだろうか。

 

 


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