4,092 views

シアワセをつなぐ仕事

答えを見出せず、封印してきた思いを…つかみ取った。
一人の看護師の成長が、看護部を、そして病院を変える。

奥野友子/市立伊勢総合病院 緩和ケア認定看護師


 

main

誰ひとりとして同じ人生を歩まないように、最期の時もまた一様ではない。
生命を脅かされる病を患う患者とその家族は、
身体的な苦痛の他に、大きな不安や深い悲しみに直面する。
一人ひとりに異なるその気持ちに寄り添い、
模索しながら癒していく医療が「緩和ケア」である。

 

 

 


患者の人生の物語に寄り添う。
その視点が、市立伊勢総合病院を「ケア」の拠点へと導く。


 

 

 

明日が来ないかもしれない人の、今を思いやる、大切にする。

Plus顔写真 緩和ケア認定看護師・奥野友子は、緩和ケアチームの一員として、病棟業務と並行し、「緩和ケア」を必要とする患者の病棟から病棟を歩き回る。心身の痛みや苦悩が大きくなっている患者や家族に寄り添って話を聴くためだ。
 診断の直後から始まる「緩和ケア」とは、がんの進行に伴う、身体的・精神的・社会的な苦痛を和らげていくための医療である。苦痛によってQOL(生活の質)を保つことが難しくなった患者に対して、本人と家族の意思を尊重しつつ、少しでも普通の生活に近づくよう、そして、前向きな気持ちで治療に取り組めるよう、支えていく。
 同院の緩和ケアチームは5名。奥野を含めた看護師2名と、医師、臨床心理士、薬剤師で構成される。奥野はそのチームのなかで、日々刻々と変化する患者の気持ちや身体状況を聴き、それを多職種で構成される緩和ケアチームへと繋げていく。そのことにより、当初計画した治療計画に修正・変更を加え、患者一人ひとりの状況、考え方、思いに合わせたケアを行っていくのだ。「患者さんの今を大切にしたい。だから、どんな小さな変化も漏らさずに感じ取りたいんです」。そう話す奥野は、今日も精力的に病棟を回っている。

 

 

毎日の業務で、精一杯。
遺族の辛い思いに気づけなかった若い日。

225124 看護師である母を見て育った奥野にとって、看護の世界は身近なものだった。看護学校の実習で救急に関心を持ち、卒業後は、三重県内の急性期病院に入職する。
 希望の救急・ICU(集中治療室)に配属された奥野だったが、そこはICUに併設された救急病棟のなかに、終末期がん患者などを受け入れる特別個室を持つという特殊な環境だった。ICUにおける看護とは、あらゆる治療を尽くして命を救うことに繋げるものだ。しかし、終末期における看護は、すべての治療を断念し、苦痛を緩和させ患者を穏やかな最期に導くものである。対極の看護が同じ場に併存するという特殊性。この看護の違いを理解できていなかった奥野には、辛い記憶がある。
 ある日、ターミナル患者が特別個室へ運ばれてきた。がん性の疼痛に喘ぐ患者になす術はなかった。医師の指示に従ってモルヒネの投与となったが、そのタイミングが遅すぎた。辛い別れに傷ついた遺族は「父を苦しませるために連れて来たのじゃない! せめて、安らかに逝かせてあげたかった」と、奥野を責めた。
 「処置には一点のミスもなかった」。「最善を尽くしたのだから仕方ない」。医師も先輩看護師も慰めてくれたが、彼女は納得できなかった。「患者さんと家族があんなに苦しんでいるのに、間違ってなかったなんてことは絶対ない!」。だが、求める答えを見つけられなかった奥野は、そのもやもやした気持ちを心の奥底に閉じ込める。
 そして、看護師となって4年目。彼女は地元の市立伊勢総合病院へ転職。通勤の利便性の他に、祖父母を看取ってくれた病院だったからだ。「家族サイドの感想として、アットホームな病院だと感じていました。ここでならゆったりと看護ができると思ったのです。心も身体も疲れていたのかもしれません」。ICU以外を希望した奥野は外科病棟への配属となる。

 

 

緩和ケアチームの医師との出会いに、進むべき道を導かれて。

225096-2 その光景を、奥野は今でも忘れることができない。外科病棟に勤めだしたある日、彼女は痛みを訴えるがん患者のベッドサイドで手を握り、背中をさすり続ける医師を目にする。緩和ケアチームの医師だった。その姿は「私がここにいるから、大丈夫」と、患者の魂を受け止めているようにも感じられた。「こんな医師がいるんだ!」。奥野は衝撃を受ける。
 医師は本来、根治治療のために力を尽くす存在だ。だがその医師は、痛みを和らげるといった治療行為だけではなく、患者に寄り添うことで、患者と一つの時間を共有していた。それは患者の生活の質を高めるためのケア。そしてそれは、本来、看護師の役割である。「看護師の私が、何をしているのだろう…」。閉じ込めていた思いが堰を切ったように流れ出す。そして、彼女はICUでの辛い記憶にも向き合い始める。「私は、患者さんの苦しみをすべてご家族に受け止めさせてしまった。私が、この医師のように患者さんやご家族に寄り添えていたら——」。新たに生まれる深い悔恨。彼女は取り返せないものを取り返すため、静かに動き始める。
 より豊富な知識があれば、患者とその家族への適切なアプローチが、迷いなくできるはずだ。「緩和ケア」を深く学び、実践に活かしたい。そう強く望んだ奥野は、緩和ケア認定看護師資格の取得をめざす。10カ月の教育課程を経て、緩和ケア認定看護師資格を取得し、病院に戻った奥野。しかし、学校で得た医療理論、倫理の知識は、看護現場ですぐに活かせるものではなかった。
 「せっかく資格をとったのに、何もできない」。悩む奥野の導きの糸となったのが「対人援助論」。それは患者の苦しみを、自己の存在と意味の消滅からくるものと定義し、その回復を患者自身によって図るものだ。そこでは何よりも、患者自身の言葉を傾聴することが大切とされる。聞き出すのではなく、患者の苦しみに意識を向けることで、自然に語り出せる雰囲気や関係を築くこと。問わず語りを全身全霊で聴くこと。緩和ケアチームの医師を中心に取り組み始めた、この新たな学びにより、奥野は看護師としてまた新しい一歩を踏み出していった。

 

 

「ケア」の拠点をめざす病院として、
看護師の育成の場としても最高峰に。

Plus顔写真2 平成30年に開設する新病院には、緩和病棟が新設される。「現場の看護師とともに技術、知識を高めていきたい。そのためにも、私の方からではなく、現場の看護師たちから接点を求めてくるような存在になりたいんです」。そう語る奥野の周りには、ともに「対人援助論」を学びたいと集まってきた10人ほどの若いスタッフもいる。
 こうした緩和ケアでの取り組み、患者に寄り添う姿勢を、市立伊勢総合病院看護部の共通の意識にしたいと語るのが木津井ひづる看護部長だ。「私は、平成25年度に部長になったときに、<患者に寄り添う看護の提供>を看護部の目標に掲げました。私はケアができる看護師を育てたい。それがベースとなってすべての看護を提供できるならば、より一層優れた看護師になれると思っています」。225129
 「患者の苦しみを和らげたい」という看護師の思いを育むこと。その力を最大限に発揮させること。それぞれの体験や知識の蓄積を共有させること。これらの取り組みで、同院は、看護部だけでなく、病院全体の「ケア」スキルをあげることを図る。
 「ケア」の拠点をめざして変革する市立伊勢総合病院。同院では、これまで以上に患者一人ひとり、そして家族に寄り添うことをめざし続ける。


 

 

columnコラム

●市立伊勢総合病院は、平成30年に新病院が完成する。今、その準備が着々と進む同院では、平成26年夏に、ターミナル期の患者と家族を支える「緩和ケア内科(仮)」が新設される。これにより、急性期から回復期、療養期、ターミナル期まで備えた病院として生まれ変わり、市民の健康と生活を守り支援する包括医療の拠点となる計画だ。患者に寄り添う看護が高く評価されるスタッフたちのフィールドは、ますます広がっている。

●新病院ではまた、健康診断や生活習慣病対策などの予防医療や、人生の中途で新たに障害を持った患者の社会復帰を支援するリハビリテーション医療にも積極的に取り組む。平成25年9月には「リハビリテーション病棟」が開設。早期治療と毎日のリハビリテーションを継続させる環境を整え、身体機能能力の早期回復をめざす。

 

backstage

バックステージ

●「高齢者白書」によれば、平成27年は4人に1人が65歳以上で、高齢社会は加速度を増している。その高齢社会時代にあった医療を提供するために、病院は看護スタッフの育成はもとより、地域の在宅医療機関や介護・福祉施設などとの情報の共有など、ともに支え合うネットワーク作りが急務であろう。

●病を患ったときも、回復していくときも、そして人生を終えるときも、適切な治療と手厚い看護が身近で提供される環境。地域に急性期からターミナル期まで、専門の医療機関が整うことで、住民の安心感と暮らしやすさは格段に進化する。高度な急性期医療機関とは別軸で、市立伊勢総合病院は、市民の健康と生活を守り、人生の終末期までの医療とケアを提供する医療機関として始動した。医療に隙間を作らないこと。これもまた公立病院として、新しい公益性追求の一つではないだろうか。

 

 


4,092 views