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自分と、家族と、これからの看護師たちのために。
『諦めない』、私のスタイル。

小林ユミ/大垣市民病院 救命救急センター(小児救急看護認定看護師)


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岐阜県西部約40万人の医療を担う大垣市民病院。看護師のワークライフバランスの充実を掲げる同院には、一人の母親としての葛藤を乗り越えながら、小児救急看護の認定を取得した看護師がいる。現在も部分休業制度を利用して子どもを育てながら、地域の子どもたちと母親に目を向ける看護師にスポットを当てた。

 

 

 

 

 


子どもが生まれたからこそ、小児救急を志した。今、精一杯、我が子と向き合いながら、子どもたちを守る看護師をめざす。


 

育休からの復帰直後。幼い子どもの救急搬送を相次いで目の当たりにして。

IMG_7427 2012年春、大垣市民病院の小林ユミ看護師は、岐阜県で3人目の小児救急看護認定看護師となった。認定看護師とは特定の看護分野において熟練した技術と知識を持つエキスパートであり、その資格の取得には5年以上の実務経験と一定期間の教育課程、そして日本看護協会の審査を受けることが必要とされる。小児救急看護認定看護師は2005年に日本看護協会に学科が創設され、現在は全国で159名が登録されている。
 小林看護師が小児救急を強く志したことには、自身の妊娠と出産が大きく関わっている。最初の妊娠では、流産を経験したのだ。2度目の妊娠も、再び授かった命をいつ失うかわからないリスクとの戦いだった。辛い経験と苦しみを乗り越え、待ち望んだ我が子を抱いた喜びはひとしおだったという。
 出産を通じ、命の尊さをより一層心に刻んだ小林看護師。救命救急センターに復帰して目の当たりにしたのは、我が子とほとんど年齢の変わらない、幼い子どもの救急搬送だった。「その頃、小さな子の事故が本当に相次いで…。まるで自分の子どものことみたいで」。痛いほどにわかる、子どもを心配する親の気持ち。将来ある子どもたちを守りたい。そのために、子どもの事故予防や適切な救命処置を勉強したい。それが、小児救急のスペシャリストをめざした契機だった。「子どもを産んでなかったら多分、小児救急の道を考えなかったと思いますね」。

 

葛藤と学び。見ようとしなければ見えないもの。

 小児救急看護認定看護師の取得には、東京で半年間の教育課程を受ける必要がある。実家に子どもを預けて上京してからは、想像以上にハードなカリキュラムに追われる毎日だった。レポート課題を抱えながらも、少しでも子どもと過ごす時間を作るために、毎週末、新幹線で実家に帰っては、日曜の夜にまた東京に戻っていく。「自分の子どもを放っておいて、何が小児救急だ」と、思い悩むこともあった。それでも、始めたからにはやり抜くしかないと腹を据えた。
 東京での研修、そして名古屋の病院での実習は厳しいものだったが、必死に学ぶなかで彼女の視野が広がった。「看護とは、決して押し付けるものではない」。ただ診療の補助だけを行うのではなく、裏方として、患者の家族が不安に感じていることを医師に代わって聞き取る。あるいは、その子の怪我や病気を、家庭で看護できるのかを見極める。救急外来に来た親の証言や挙動から、虐待の兆候を感じ取る…。「今まで見えていなかったもの、見ようとしていなかったものがたくさんあることに、気付きました」

 

師長の言葉、病院のサポートや家族の支えがあった。

IMG_7355IMG_7141 小林看護師はこれまでを振り返り、「私は恵まれていると思います」と口にする。「小児救急に進みたいと悩んでいたとき、本当に親身になって相談に乗ってくださった師長がいたんです」。子どもを残して行かなければならないこと、他のスタッフに負担をかけてしまうこと。迷う小林看護師に、その師長はこう言ったという。「かつて、別の病院にいたころ、自分にも海外留学のチャンスがあった。そこに参加しなかったことを、今でも後悔している」。その言葉が、小林看護師の覚悟を固めてくれた。
 教育課程の入試を受験したいと申し出たとき、看護部長は「子どもを持つ、それも部分休業中の看護師が教育課程に行くことは前例がない」と言った。「険しい道だとは思うけれど、やるからにはよいお手本になっていってほしい」。責任の重さを感じるとともに、自分を送り出してくれた病院、看護部の信頼に応えなくてはならないと、小林看護師は決意を新たにした。金銭面を気にせず勉学に打ち込むことができたのも、修学期間中の給与をはじめ入学金や授業料、住宅手当などの支給があったお陰だ。
 一番気がかりだったのは子どものこと。だが、「大きくなって物心ついてからの方が、もっと寂しい思いをさせることになる」と家族は背中を押してくれた。だからこそ、「今しかない」と思い切り、単身東京へ飛び込んでいけた。ずっと子どもの面倒を見ていてくれた母への感謝は言い尽くせない。

 

子どもを育てる看護師の、お手本をめざす。

IMG_7341IMG_7469 小林看護師は現在、就業時刻を30分遅らせた部分休業、夜勤免除という形で勤務している。その理由は2つある。1つは、半年間離れていた分まで、子どもと向き合う時間を作るため。そしてもう1つは、率先して育児支援制度を活用し、育児と仕事の両立を実践していきたいと考えるためだ。「看護師として働いていても子育てはできるし、子どもがいてもキャリアを積んでいけるということを伝えていきたい。他の人も、自分の後に続いてくれれば」。今も、同じように部分休業を利用している他の看護師から相談を受け、話し合いながら、よりよい働き方を模索しているという。
 これからは、「職場のみんなにはたくさん助けてもらった分、自分が得たものを還元して行きたい」と語る小林看護師。病院への復帰後、既に何度か院内で勉強会を開いている。そこで最初に取り上げたのが「子どもの人権」だ。例えば、子どもに点滴を行うとき、痛いとわかっていて「痛くないよ」と誤魔化すことや、子どもに十分な説明がされないまま、親から子どもを引き離し手術室や処置室に連れて行くことは、医療を受ける子どもの権利を無視していないか。子どもが理解できるように十分な説明を行う必要がある。このテーマは、参加者には新鮮な驚きを持って受け止められたという。今後は医師とも相談しながら、子どもとお母さんの思いを尊重し、少しでも不安を和らげるためにはどうしたらいいかを考え、少しずつ実践していきたいと小林看護師は話す。
 さらに、小児救急看護認定看護師としては、地域のお母さんたちの育児力の向上にも貢献していきたいと考えている。「今は核家族で、子育ての経験者にアドバイスをもらえない親御さんが多い。だから、お家で子どもをどうやって看たらいいかなど、救急に来たお母さんに伝えていきたいですね。例えば子育て支援センターと連携して、地域の子どもたちを守っていけたら」。小林看護師はこれからも、思い定めた道を突き進む。


column

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●大垣市民病院では看護師が長く働ける環境づくりをめざし、子育て支援に力を入れている。まず、育児休暇は最大3年間の取得が可能だ。復帰後も部分休業制度により、子どもの就学までの間、最大で1日2時間の時間短縮と夜勤免除が認められる。また、短時間勤務制度なら、正職員のまま短時間勤務を行うことができる。その他、子どもが体調を崩した際の看護休暇や院内保育所での24時間保育など、仕事と育児の両立のための対策が講じられている。

●こうした制度の利用者は年々増加している。同院の育児休暇の取得率は100%。院内では常時70名ほどの看護師が育児休暇を取得しており、部分休業や短時間勤務の利用者も常時50名を越える。それに伴う人員不足、特に深刻だった夜勤者の確保のため、夜勤専従制度が導入された。大垣市民病院では、子どもを育てる看護師とともに、それを支える現場の要請にも応じることで、病院全体の労働環境の改善が図られている。


 

 

backstage

83o83b83N83X83e815B83W●女性が多い看護師において、入職から数年後、経験と技術を身につけてきた頃、家庭と仕事の両立という壁にぶつかるケースは少なくない。結婚・出産を経ても仕事を続け、更なるキャリアアップをめざしていける環境を整備するため、多くの病院が今、育児支援に力を入れている。

●2交代や3交代で勤務する多くの病院看護師にとって、夜勤は大きな負担だ。日勤と夜勤の混合勤務では、休日も仕事の疲れがなかなか取れないという声もしばしば聞かれる。しかし、そのことに悩んだある看護師は、あえて夜勤専従勤務を選択。夜の間仕事に集中し、昼の時間を有効に使えるようにしたという。一口に「ワークライフバランス」と言っても、カタチは一人ひとり異なる。その充実には、それぞれが自分に合った働き方を見つけることが大切だと言えるだろう。

 


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