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看護は、希望だと思う。
「その人らしさ」を支えるための。

善家真紀愛知医科大学病院脳卒中リハビリテーション看護認定看護師)


シアワセメイン_09愛知医科

「理由はわからない。でも、私のなかで看護師になることは子供の頃から決まっていた」。そう語るのは、愛知医科大学病院に勤務する、善家(ぜんけ)真紀である。看護師への憧れはすでに幼い頃に芽生え、おもちゃの救急バッグをおねだりするような子供だった。その思いのままただひたすら突き進んで、今ここに、脳神経を極めた一人のナースがいる。

 

 

 

 


「何故、看護師になるのか」。震える手で一生懸命書かれた患者の手紙が、その問いへの答えになった


 

 

「あなたについていただいてよかった」という手紙。

_H3618 “私、何故看護師になりたかったんだろう”。善家真紀は、そんな自問自答をしばしば繰り返す。その答えは見つからないが、ただ、“何故看護師を続けることになったのか”、そのきっかけについては明確にわかっている。
 愛知医科大学看護専門学校(現在は看護学部に移行)で学んでいたとき、看護実習に行った神経内科の病棟で、その答えを教えてくれた人がいる。「神経の難病を患っている患者さんでした」。善家が実習している間にも、その患者の容態はどんどん悪化していった。実習も終わりかける頃、もう手もほとんど動かせなくなりそうだったその患者は、善家に一通の手紙を手渡した。震える手で一生懸命書いてくれたことが伝わる手紙だった。手紙には「善家看護婦へ」と書いてあった。
 知識も技術も、何もない当時の善家は、患者に何を与えることができたのだろう。「何もわからないけれど、なんとか患者さんのお役に立ちたい、あなたのためにできることはなんでもしたい」。善家のそんな思いが患者へと伝わった証しが、その一通の手紙だったのだ。
 「あなたについていただいてよかった。ありがとうございます」。手紙に書かれていた感謝の言葉の一つひとつを噛み締めて、善家は「看護師になる」という決意を新たにしたのである。

 

自分の思いと現実のギャップ。孤立感を募らせたHCUでの日々。

_M3516.jpg 看護専門学校を卒業した善家は、愛知医科大学病院の脳神経外科病棟に入職した。そこで善家は、さまざまな先輩の仕事に触れ、大いに触発されることになる。「技術や経験の違いはもちろんありましたが、先輩と自分の決定的な違いは、主体の置き方だったんです。新人の私は業務をこなすことに精一杯で、主体は自分。そうではなく、先輩たちは患者さんを主体に置いて、患者さんがしてほしいことを優先的に提供していました」。以来、善家はどんなに忙しくても、患者との「1対1の時間」を大切に考え、その患者と関わるときはそれに専念することを自らに課している。
 脳神経外科病棟で5年経験を積み、今度は高度救命救急センターのHCU(高度治療室)へ異動になった。重篤な患者を治療するHCUでは、チーム医療が非常に重要となる。「一人の力じゃなくて、チーム全体の力をあげないと、いい医療は提供できない」。そんな善家の熱い想いとは別に、周りの看護師たちは、ただ忙しさに追われているように見えた。「これは違う、私の理想としている看護ではない」。そんな葛藤と孤立感のなかで善家はもがき続けた。ちょうど同期はどんどん結婚や出産で辞めていく時期だった。ふと「もう辞めてもいいかな」と思い始めた。
 「辞めようと思う」。善家の申し出に上司が示したのは、まもなく新設される「脳卒中リハビリテーション看護認定看護師」の教育課程を受講してみないか、という提案だった。善家はすぐさま決断した。自分が描く理想の看護を見出すことができるかもしれない。その思いを胸に認定看護師への道を歩み出した。

認定看護師をめざす日々。共に学んだ仲間たちとの一体感が、私を変えた。

_M3600 認定看護師の教育課程は、善家にとって素晴らしい体験だった。同じ夢を持ち、同じ悩みを抱えている看護師が寄り添って学ぶ教室は、いつも熱気に満ちていた。「指導教員が、セラピストが、そして仲間たちが、チームでやろう、でなければできない、そんな思いで一つになっていました」と善家は言う。脳卒中の患者が増え続けるなか、認定看護師への期待も高まっていた。患者のためにも、社会全体のためにも、脳卒中の看護は、変わらなければならない。その6カ月の間に、善家は「脳と神経に関する看護を極める」という決心を固めた。
 HCUに戻ると、最初はあれもしたい、これもしたいと気持が空回りすることもあった。HCUの患者の約3割は、脳卒中患者だ。やりたいことはいっぱいあった。しかし、焦らず、時間をかけて、脳卒中看護の体制を整えていこうと、気持を切り替えた。「心がけたのは、とにかく実践ですね。後輩と一緒にベッドサイドに行って、アドバイスしたり、自分の看護スキルを見せたりしました」。その積み重ね。まずは質の高い看護を自ら実践することに専心した。
 そうこうするうちに、HCUのなかに脳卒中の「係」ともいうべきチームが自然発生的に生まれ、脳卒中看護の質は目に見えて上がっていった。認定看護師として、善家が地道に取り組んできたことが、一つの成果となったのである。

認定看護師として、後輩を育て、看護の質の向上をめざす。

_H3635b 2005年、同院の脳卒中センターは立ち上がっている。その後、善家は2010年に脳卒中リハビリテーション看護認定看護師の資格を取得し、2012年に同センターへの配置となった。脳卒中センターは主にHCUで治療を終えた脳卒中患者を受け入れ、早期離床、早期退院をめざすところだ。予想通りの忙しさのなか、善家は根気よく、後輩の指導に取り組んでいる。「患者さんに何が必要なのかを理解し、必要なものを提供する知識やスキルを持った人を増やしたい」。その思いで、善家は後輩たちとともに立ち働き、多忙な日々を過ごしている。
 また、認定看護師として病院を横断する活動も始まった。同院では、脳卒中患者の急性期の療養はHCUが主に担当している。ここでの管理は患者の生命に直結しており、専門的な視点で関わることが重要だ。そのため、必要に応じてHCUを訪問し看護師へアドバイスを行っている。脳卒中患者が運び込まれ、退院するまで、継続して質の高い看護を提供しようと考えている。さらに、他の看護分野の認定看護師との連携も深めている。たとえば、「患者の嚥下障害について、摂食・嚥下障害看護認定看護師に相談したり、合併症対策のために、集中ケア認定看護師や皮膚・排泄ケア認定看護師からアドバイスをもらうなど、さまざまな面で協力し合っています」と言う。
 脳卒中センターのこれからを見据えると、入院期間の短縮化、地域との連携強化など、課題は山積している。しかし、課題が多いことは、やりがいが多いことでもある。善家は「病院の人的資源となり、貢献していく」覚悟を決め、ただひたすら看護の質の向上をめざしている。
 善家にとって看護とは何だろう。「看護とは、一言で言うと“希望”。たとえば脳卒中を発症し後遺症が残っても、再びその人らしい生活を再構築するために、希望を持って患者さんに向き合っていきたい」と、善家は考えている。後に続く、たくさんの看護師たちの憧れや夢を引っ張って、善家は認定看護師の道を歩く。その道の先にはきっと、大きな実りが待っているだろう。


column

-83R83898380●愛知医科大学病院の認定看護師部門は、2009年に立ち上げられた組織である。当時10名に満たなかった認定看護師数も、現在では19名までになっている。特定の看護分野において専門的な知識と技術をもつ認定看護師は、診療科をまたがって、院内を横断的に活動することが期待される。そのため認定看護師部門は看護部長直属の組織となっており、認定看護師が部長と相談しながら院内を自由に動ける環境を保証している。

●認定看護師同士の連携を深めることも、同部門の大きな目的の一つである。たとえば脳卒中看護の場合、糖尿病看護、集中ケア看護、摂食・嚥下障害看護などの認定看護師と密接に関わることで、より良い看護を提供することができる。認定看護師同士のコラボレーションを通して、病院全体の看護の質を向上させようとしている。

●愛知医科大学病院では、このような認定看護師の活動を推進する支援体制として、就学支援を行っている。

backstage

-83o83b83N83X83e815B83W●女性が働くということは、今ではしごく当たり前のことになりつつある。大学を卒業する際には、ふつうに就職活動をして、企業に入る。企業では内向きな男子学生より、活発な女子の方が受けがいい、といった話もあるほどだ。しかし問題は、働き続ける、ということである。今後の日本においては、少子化による労働人口の減少が予測されるが、それでもなお、男性中心社会はゆるがない。

●大企業においては、既に女性の育成プランや子育て支援制度、管理職登用などが明確化されてはいるが、医療界はどうだろう。女性が長く働き続けるための支援、制度は十分にできているだろうか。仕事もいきいきとこなし、責任ある職をまっとうし、さらに家庭を築いて、シアワセを手にする。そんな看護師が一人でも多く増えていくことが、看護師全体の底上げに繋がっていくのではないだろうか。

 

 


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