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病院を知ろう

地域の救急医療を守り、
病院の高度急性期医療を守った、
 <チームカテラボ>。

 

 

松阪市民病院


救急医療、すべての急性期医療を担保するには、
循環器科医師が不可欠。
循環器内科の開設は、病院再生への緒となった。

main

循環器科の医師不在が引き金となり、一時は救急体制が崩壊してしまった松阪市民病院。
そんななか、小倉嘉文院長は東奔西走。
平成21年に循環器内科の諸岡英夫医師が招聘され、カテーテル治療チームを立ち上げる。
諸岡医師の赴任は、循環器疾患の治療体制を整えただけでなく、松阪市民病院と、松阪地区の救急体制を復活させた。

 

 

 

 

 

チームカテラボ。
あうんの呼吸で展開するカテーテル治療。

  Plus顔写真1team cathelabo(チームカテラボ)。松阪市民病院の諸岡英夫医師(循環器内科部長)は、そう印刷されたユニフォームを誇らしげに取り上げる。ユニフォームの背中に印字されたその文字は、既に色褪せ、そうと知らなければ読み取ることはできない。しかし、諸岡医師の顔は、凛としたなかに笑みがこぼれ、自らが赴任してからの約6年間で、ゼロから立ち上げた循環器内科カテーテル治療チームへの自信をにじませる。
 カテーテル治療とは、心筋梗塞などに対し血管から医療用の2ミリ程度の細い管(カテーテル)を挿入して行う治療である。手首や太腿の付け根の血管からカテーテルを挿入し、心臓の狭窄した血管内で、先端が風船状になったカテーテルを膨らませ血管を拡げるバルーンカテーテル治療、ステントと呼ばれる網状の筒を留置するステント留置術などがある。
 カテーテル室で、諸岡医師は画像モニターを見つめながら、熟練した指先の微妙な動きで治療を進める。その進行状況を食い入るように見つめながら、診療放射線技師たちそれぞれが諸岡医師をサポート。そこには、全員が専門性を発揮した上での、あうんの呼吸ともいえるチームワークが展開される。

 

 

ゼロからのスタート。
チーム全員が諸岡医師に学ぶ。

DSCF1672 諸岡医師が松阪市民病院に赴任したのは、平成21年。それまでは、長らく市中病院で臨床経験を重ね、カテーテル治療の第 一線で活躍してきた。
 赴任後、諸岡医師は、診療放射線技師や臨床工学技士、看護師、臨床検査技師たちを熱心に指導した。もちろん彼らは、それまでも病院でスペシャリストとして業務に励んでいた。しかし、ハイレベルで特異な技術が要求されるカテーテル治療での実務は、まったく経験がない。しかもカテーテル治療はチームで行う。実際の治療そのものを行うのは医師であるが、チーム全員に重い責任と高度な技術が求められるのだ。
 諸岡医師は、毎日夕方、メンバーを招集し、目標とする<救急搬送された患者へのカテーテル治療>への動機づけをし、治療に必要な知識と技術を一つひとつ教えていった。そこには諸岡医師とともに赴任した若手医師が参加。少し時期を経てもう2人の医師も加わった。
 そうした彼らと自分自身を、諸岡医師は「チームカテラボ」と名づける。そして約6年の歳月。あえてラボ=実験室と名づけたチームは、今では救急搬送された急性心筋梗塞患者の生命を、死の淵から救い出している。
 「きちんと治療を行うために、基本を大切にして、毎日当たり前のことを当たり前にやっているだけです」。自らが率いるチームのことを、淡々と語る諸岡医師であるが、その言葉には自信がにじむ。今でも症例研究や、循環器系英字誌を用いた勉強会は毎日欠かさない。チームの人数は、手術室と兼務している看護師を含め、総勢17名。初動期のメンバーが、今でもチームカテラボとして治療にあたる。
 諸岡医師の赴任後、松阪市民病院循環器内科の治療実績は、最も多いときで1041件(平成22年度)、検査件数も4549件を数える(平成26年10月現在)。

 

 

地域医療を守るために、
闘い抜いた小倉院長の覚悟。

Plus顔写真2 平成18年当時、松阪市民病院には循環器科の医師が不在であった。平成16年に、それまで在籍していた循環器科医が、大学医局の事情から引き上げられることになったのだ。
 小倉院長は当時を振り返って語る。「循環器科は、救急医療と高度急性期医療において要となる診療科です。循環器科医がいなければ、救急においては、急性心筋梗塞をはじめとした循環器疾患患者を受け入れられないだけではなく、他科の救急患者に対しても、緊急手術を必要とする場合、循環器系が手術に耐え得る状況かの診断ができません。
 また、通常の高度急性期医療の面でも、循環器科の治療はできないばかりか、他科の高度治療においても、救急同様、循環器科医がいないことは、いわば片肺飛行を意味します。すなわち、当院各科の医師は、自らが持っている技術を最大限活用しての治療ができず、医療安全を考えると、病院全体が守りに入らざるを得なかったのです」。
DSCF1661 このままでは、病院ばかりでなく、松阪地区の医療が危機に陥る。そう考えた小倉院長は、循環器科医を何とか確保しようと死力を尽くす。そのなかで巡りあった諸岡医師。小倉院長は三顧の礼をもって迎えることとする。そして、迎える以上、最高の環境で治療に臨んでもらおうと、当時の最新鋭治療機器の導入を決定。カテーテル治療に充分対応できる装備を整えようとした。
 ところが問題が発生する。市議会で可決されたはずの機器導入が、市長の交代により反故にされようとしたのだ。院長は、自ら市民と会話をするため「意見聴取会」へ出席。丁寧な説明を重ねた。
 さらに騒動の最中、大学医局から循環器科の医師を2人派遣するから、諸岡医師の招聘と最新鋭治療機器の導入はやめないかという打診を受ける。こちらの状況を慮っての申し出であったが、小倉院長は、辞した。大学医局との関係ももちろん重要である。しかし、医局との関係だけに頼ってはいられないと考えたのだ。

 

 

急性期医療の担保が、
ケアへの絶対条件。

12-0207 小倉院長が、固い決意で諸岡医師の招聘にこだわったのはなぜか。その根底には、松阪市民病院循環器科の復活だけでなく、自院の救急体制の立て直しが松阪地区の救急医療を守る、という強い思いがあったのだ。松阪地区のような郊外において、 一つの病院の救急体制の崩壊は、地区全体の救急医療を揺るがしかねない。3病院で救急輪番(※)を敷いているこの地域は、2病院だけでは、地域の救急需要に充分に対応することができないのだ。「3つの病院が協力して輪番を維持するからこそ、地域の救急に対応できる」と、小倉院長は言う。
 そして歳月が過ぎた今、地域医療のあり方が変わりつつある。超高齢社会においては、キュア(根治的な治療)からケア(生活に寄り添う全人的な医療、看護)の重要性が叫ばれ、急性期病院においても、急性期のその先のステージはもちろん、在宅医療をも見据えた医療展開が求められてきた。
 「もちろん、それは重要なことです。しかし、地域の救急医療まで範疇とする病院としては、前提として命に関わるキュアの部分が確立されていてこそ、はじめてできることです。それなくしてはケアに充分対応できません」。
 そう語る小倉院長だが、職員の努力をもとに中核的な医療機能の再編も整い始めた松阪市民病院。独自のセンター化路線(コラム参照)が軌道に乗り始めた今、市民のための市民病院として、ケアの領域への取り組みにも着手し、少しずつ花開こうとしている。

※ 地域の医療機関が順番で夜間・休日の救急搬送を受け入れる制度。松阪地区では、松阪市民病院のほか、松阪中央総合病院と済生会松阪総合病院の3病院で救急患者の搬送に対応している。

 

 


 

column

コラム

●自治体病院のなかには、財政難や医師不足にもかかわらず、総合的に診療科を揃えることが自治体病院の使命と考える病院もある。かつての松阪市民病院もその一つであった。結果、小倉院長が赴任した平成13年当時、同院は、70億円もの赤字と医師不足という問題を抱えていた。

●小倉院長がとった戦略は<選択と集中>であった。限られた医療資源を有効活用させるために、臓器別の診療体制づくり<臓器別センター化>を推進。既に<呼吸器センター>、<消化器・内視鏡治療センター>が開設されている。

●そして現在は、<腎臓内科+泌尿器科>に加え、<循環器科>のセンター化を構想。<循環器科>センターには、心臓外科の存在が必須であるが、現在は、三次医療機関との医療連携によって対応している。

●得意診療科を可視化させ、医療資源を集中させた結果、松阪市民病院は、現在では黒字化している。

 

backstage

バックステージ

●病院にとって、大学医局による医師の引き上げは、場合によっては病院自体の閉鎖へと繋がる。

●もちろん、大学医局には大学医局の事情があり、大学病院における医療提供をいかに守るかの考えにおいて、医師の確保を図らなくてはならない。ただ、そうした大学の事情だけで医師の人事が左右されるようであったら、安定的な地域医療の構築に大きな問題を投げかける。

●また、医師と大学との関係は、医師がキャリアを形成していく上で、とても重要な意味を持つ。大学の人事を無視すれば、自らのキャリアが閉ざされてしまうのだ。

●こうしたいくつかの不安定要素が絡み合った構造のなかで、地域の病院が、そして、医師が、苦しんでいる。この状況に対して、社会的な仕組みづくりを考える必要があるのではないだろうか。

 


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