5,510 views

アーカイブTOPタイトル-05平成23年3月11日14時46分、三陸沖を震源に、国内観測史上最大のマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生。東北地方を中心に太平洋沿岸の広い地域が巨大な津波に襲われた。なかでも、壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市では、災害拠点病院である石巻赤十字病院を中心に、全国から集まった支援者による必死の救護活動が展開された。


石巻エリアの災害救護活動を検証する。

宮城県が用意していた災害医療コーディネーターという仕組み。

1 大震災から2カ月余りが過ぎた5月24日の夕刻、石巻赤十字病院の会議室には、各避難所での活動を終えた救護班の面々が集まり、情報伝達と共有のためのミーティングが行われていた。
 「がれきの片付けで粉塵が舞って咳の患者さんが増えているため、マスクを配ってください」など、本部からの連絡事項。続いて質疑応答が始まった。福岡から来ている応援医師が手を挙げる。「避難所で生活している73歳の女性ですが、ちょっと人間関係でいろいろあって、今後の行き先がなかなか決まりません。後ほどご相談したいんですが…」。
 「わかりました。後でちょっと作戦を練りましょうか」。そう快く応じたのは、石巻圏の災害救護活動を束ねる災害医療コーディネーター、石井正医師(石巻赤十字病院外科医・医療社会事業部長)だ。石井医師は、震災直後から医療支援チームを采配し、強いリーダーシップを発揮してきた。
 災害医療コーディネーターとは、宮城県が平成22年度に設けた仕組みで、災害時に適切な医療提供体制が構築されるように調整役を担う者を言う。宮城県では県内をいくつかのブロックに分け、各ブロックに災害医療コーディネーターを配置。石井医師は6人目のコーディネーターとして、石巻エリアを任された。宮城県から委嘱を受けたのは、震災のわずか1カ月前だったと言う。
 また、宮城県では震災に備え、平成22年1月に、県や市、病院、医師会、自衛隊、警察などが一堂に集まる「石巻地域災害医療実務担当者ネットワーク協議会」を発足していた。大規模災害があったとき、医療機関だけでなく、さまざまな関係機関が協力しなくてはならない。そのときに「顔の見える関係を築いておくことが必要」と考え、地域の災害拠点病院である石巻赤十字病院が幹事役となって組織したものだ。
 当時すでに、30年以内に大規模な宮城県沖地震が99%の確率で起こる(政府・地震調査研究推進本部)と予測されていた。迫り来る大地震に備え、宮城県ではギリギリのタイミングではあったが、実は周到な準備を行っていたのだった。

 

発災9日目に開設された石巻圏合同救護チーム。

1-2 石巻市は三陸海岸の最南端に位置し、全国でも有数の水産都市として知られる。太平洋に向かって突き出した牡鹿半島を抱える漁業の町は、巨大津波の直撃を受け、死者3,134人、行方不明者1,012人を出すなど、甚大な被害を受けた(7月16日宮城県発表データによる)。
 津波に襲われて、がれきの山と化した石巻市では、震災直後から続々と全国の医療支援チームが駆け付けた。いち早く出動したのは、厚生労働省によるDMAT(緊急災害医療チーム)や日本赤十字社の救護班。そして、全国の災害拠点病院、自治体、医師会、NPOなどさまざまなところから、応援医師や看護師などが派遣された。
 一方、現地では多数の被災者がさまざまな避難所に身を寄せ、混乱を極めていた。震災直後、石巻医療圏の避難所の数は300カ所以上、避難所に入所している人数は4万人超。広いエリアにわたって点在する避難所を支援するには、全国から派遣された医療支援チームを統括する組織づくりが不可欠だった。そこで、大きな役割を担ったのが、宮城県が委嘱していた災害医療コーディネーターの石井医師だったのである。
 石井医師は地元の医師会や歯科医師会、東北大学、行政、自衛隊医療班などと話し合い、発災から9日後の、3月20日、災害医療コーディネーターが一元的に統括協働する「石巻圏合同救護チーム」を発足。石巻市を中心に、東松島市、女川町を合わせたエリアで、統率のとれた救護活動を展開していった。

 

生活と医療の両面から支援した石巻圏合同救護チーム。

10 合同救護チームができるまでは、一つの避難所で複数の医療支援チームがバッティングしたり、医療支援がまったく届かない避難所もあった。そもそも、避難所がどこにあり、何人が避難しているか、それすらも把握が難しい。そのため、石巻圏合同救護チームは、自分たちの目と足で地域一帯の避難所の状況を調査した結果に基づき、地域ごとに医療支援チームを振り分けていった。さらにその後、石巻圏を14のエリアに分け、長期的に支援可能な医療支援チームを各エリアに置いて幹事役として運営を任せた。このエリア・ライン制の導入により、いちだんと密度の濃い救護活動が可能となった。医療支援チームは通常、数日間で任務を終えて撤収するため、後続チームへの情報伝達の不備もあったが、その課題もクリアされたのだ。
 また、被災により弱体化した行政に代わって水、トイレ、電気、ガスなどの環境調査や要介護者の調査を行ったことも特筆すべきだろう。被災者の健康を守るために、団体の利害や立場を超えて、できる者がやらねばならない。所属も地域もバラバラだった医療支援チームは心を一つにして、与えられたミッションに立ち向かった。こうした見事な統率力・団結力により、石巻圏に存在するすべての避難所をまんべんなく巡回診療し、継続的な医療支援を行うことができたのである。


 

前線基地となった災害拠点病院「石巻赤十字」。

津波の難を免れた立地と十分な災害への備え。

2 石巻圏合同救護チームの基地となったのは、内陸部にあり、津波の直撃を逃れた石巻赤十字病院(402床)だった。沿岸部にあった石巻市立病院などの医療機関が次々と機能不全に陥るなか、石巻赤十字病院は石巻エリアの最後の砦となったのである。
 もともと石巻赤十字病院は沿岸部にあったが、施設の老朽化のために5年前に新築移転したところだった。石巻赤十字病院の院長、飯沼一宇医師は「5年前の新築移転が本当に幸いでした」と振り返る。当時、すでに宮 城沖地震の発生が予測されていたため、建物は免震構造で、自家発電装置を備え、地下の広いスペースに非常用の物資や食料、水を備蓄するなど、万全の備えを設計に盛り込んでいたのだ。例えば、災害時は大勢の患者が来院するため、広い診察スペースが必要になる。「震災に備え、吹き抜けの玄関ロビーを広く取り、その内側に待合室を作って、万一のときはそこで診療できるように考えました」。飯沼院長が想定していた備えは、今回の震災で大いに役立った。
 また、救急医療のために交通アクセスを重視した立地も、「結果的に見ると非常にラッキーだった」と飯沼院長は言う。病院のすぐそばに三陸自動車道が走り、全国各地からの救援受け入れを可能にしたのである。

 

迅速な災害医療体制の構築。発災3日間で急患2000人超。

3 石巻赤十字病院では、ソフト面での震災への備え、すなわち、災害医療の訓練や研修にも熱心に取り組んでいた。例えば、トリアージ訓練もその一つだ。トリアージとは、人材や資源の限られる災害医療の現場で、一人でも多くの命を救うために、多数の傷病者を重症度と緊急性によって分別し、治療の優先度を決定することである。
 震災直後の2時50分、自家発電に切り替わった院内で、災害対策本部が立ち上がると、すぐさま院内にトリアージエリアが設けられた。トリアージエリアは色で区分され、緑色(軽症)、黄色(中等症)、赤色(重症)、黒色(死亡もしくは救命不可能)などに分けられる。こうした初動の迅速さはまさに、日頃の訓練の賜物と言えるだろう。なお、前述した災害医療コーディネーターの石井医師は、同病院の災害対策本部・ゼネラルマネジャーでもあり、ここでも石井医師が采配を振るった。
 救急患者を待ち受ける石巻赤十字病院には、震災翌日から多数の患者が搬送されてきた。3月11日は99人だったが、翌12日から急増。12日779人、13日1251人と、震災3日間で2000人を超える患者が搬送されてきた。症状は長時間水に浸かったことによる「低体温症」が多く、津波にのまれ、ヘドロ状の海水が肺に入って引き起こされた「津波肺炎」なども見られた。
 「すぐに病室は満室になり、ロビーや廊下は患者さんや避難してきた方たちでいっぱいになりました。入りきらないので、空いている場所を探しては優先順位をつけて患者さんを誘導するなどしましたね。最初の数日間は本当に混沌とした状況で、職員全員が不眠不休で頑張ってくれました」と飯沼院長は感慨をもって振り返る。

 

赤十字から支援が集結。組織力が病院運営を支える。

 石巻赤十字病院の設立母体である日本赤十字社も、いち早く支援に動いた。3月11日、日本赤十字社では全国の支部・病院から医療救護班(医師、看護師、事務職員など基本的に6人で構成)が一斉に東北各県の被災地に向けて出動。石巻赤十字病院にも、早々と救護班が到着した。
 とくに第一班で派遣されたのは、阪神・淡路大震災や新潟中越沖地震などの災害救護を経験した精鋭たちだ。これらエキスパートたちは、参謀機能の立ち上げを強力にサポートした。「ある救護班のグループがここに参謀機能を立ち上げますと宣言して、机や衝立をパパッと用意してコーナーを作りました。日赤無線の基地局を立ち上げ、掲示板に整理すべき事項を書き出していったんです。その機動力を目の当たりにして、日赤の組織力に改めて感心しました」と、飯沼院長は語る。
 その後も日本赤十字社では、石巻赤十字病院と石巻圏合同救護チームを継続的に支援。避難所の巡回診療に携わると同時に、通信・浄水・発電機能を備えたテント型の移動仮設診療所を展開したり、海外の赤十字から寄せられた救援金を財源に、石巻市内の避難所11カ所に簡易水道システムも設置するなど、災害救護に精通した赤十字ならではの機動力をいかんなく発揮した。また、自ら被災しながらも懸命に働き続けた石巻赤十字病院の職員を助け、病院の再建にも尽力した。
 石巻赤十字病院が周辺地域20万人の被災者を支え得たベースには、日本赤十字社の強力な支援があったのである。

83O838983t


 


5,510 views