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病院を知ろう

我々は生まれ変わる。
市民とのコミュニケーションで
創り上げる新病院。

 

 

常滑市民病院


存続の危機にあった病院が、
「コミュニケーション日本一の病院」に生まれ変わる。

main

平成27年5月、新・常滑市民病院がオープンする。同院は6年前までは毎年、単年度7〜8億円の赤字を出していた。
しかし、「新病院を創る。市内で唯一、入院機能を持つ病院を廃止してはダメだ」という現・常滑市長(片岡憲彦氏)の強い決意のもと、平成21年、改革に着手。
市民と医療者と行政関係者の合意を得るために、市民参加による会議を重ね、新病院の姿を創り上げてきた。その成果が、いよいよ花開く。

 

 

 

 

 

始まりは「みんなで創ろう!
新・常滑市民病院100人会議」

ワークショップ 「建物が古い、暗い」「患者に対して不親切」「診療待ち時間が長い」——常滑市民病院に対する不満を口々に述べる市民たち。これは「みんなで創ろう!新・常滑市民病院100人会議(以下、100人会議)」の第1回会議でのフリートーキングでのひとコマ。不満の集中砲火を浴びながら、同院の職員は頭を垂れて押し黙るしかなかった。市民の厳しい声をきちんと聞くことが、病院を変えるためには、重要だと考えていたからだ。とはいえ、心のどこかには「自分たちの現状についても理解してほしい」。それぞれがもやもやした思いを抱えていたが、現・副院長の中村英伸は、意を決して第2回会議で語った。「前回の会議には当直明けで出席し、会議を終えて帰宅する途中で、病院に呼び戻されて緊急心臓カテーテルを実施しました。その夜は患者さんの急変に備えて病院に泊まり、翌朝は通常通り診療。こんなふうに休みなく働くことはよくありますが、市民の皆さんのことを思い頑張っているのです」。
 この発言を機に、市民の意識が少しずつ変化し始めた。加えて、毎回の会議での病院の経営状況や医療機能についての情報提供、院長をはじめとした病院職員への質疑応答や、院内見学ツアーの開催。これらを通して現場の並々ならぬ苦労を知った市民には職員に対するねぎらいや感謝の気持ちが生まれ、市民と医療スタッフの真の対話が始まり、100人会議は市民と職員が互いの理解を深める場となった。
 この100人会議は、「地域や市民にとって、本当に必要な病院のあり方」を考えるために、平成23年に合計5回、開催されたものだ。メンバーは、公募や無作為抽出からなる市民を中心に、同院職員と行政スタッフを加えた合計111人。現・副市長(山田朝夫氏)のプロデューサーとしての巧みな手腕に、グループ討議のとりまとめ役を依頼した近隣病院の事務長や前・看護局長などの4人のコーディネーターの協力も加わり、丁寧な対話を重ね、最終的には「市民みんなで新しい病院を創り、応援しよう」という合意を得るまでに至ったのである。なお、会議の終了後、新病院づくりの議論は「新・常滑市民病院の基本設計に関するワークショップ」に引き継がれた。

 

 

病院再建プランの
実行を着々と。

Plus顔写真 100人会議に先立って、院内では病院再建計画が進められていた。常滑市長自ら医局会議に出席し、市長として全力で取り組むこと、そして、そのための協力を求めたいことを、医師たちに直接伝えた。市長の<本気>を感じ取った医師や他の病院職員たちは、気持ちを一つに団結した。
 市長はなぜ同院の存続を決意したのか。それは、同院のある知多半島医療圏がもともと医療資源が少ないという事情がある。隣市に救命救急センターを持つ半田市立半田病院があるものの、そこにすべてを依存することはできない。市内で唯一入院機能を持ち、市民の安心・安全を支える最重要インフラである市民病院を廃止するわけにはいかなかった。その思いは現・病院事業管理者 兼 院長の中山 隆も同じだった。「常滑市の医療、とくに救急医療を守るために精一杯やってきたという自負心があり、何とか存続させたいと思いました」。同院を存続させるのであれば、建設から50年以上経ち、老朽化した施設の建替えが必須となる。新病院を建設して経営を健全化できる見通しを立てるために、懸命な経営改善が始まったのである。
 238_TokonameShimin_2015まず、同院の経営状況について事務職員がデータを示し、病床稼働率などの目標の数値を全職員で共有した。「どれくらい頑張れば、数値をクリアできるか」という目に見える目標を設定したことで、誰もが経営を意識して業務に勤しむようになった。その一方で、膨れ上がった累積債務は市の一般会計から補填するために、市の行政職員の給与15%カット(うち10%は一般会計財政再建分、うち5%が病院繰り出し増加分)が断行された。但し、医師や看護師、リハビリテーションスタッフなど医療職員の給与はそのまま据え置かれた。中山院長は「私たち医療職員を尊重していただき、責任の重さを改めて感じました。その気持ちは他のスタッフみんなも同じだと思います」と振り返る。こうして市職員の熱い期待を背に、医療職員のモチベーションが高まり、「やるべきことをきちんとやる病院」に変わってきた結果、目に見えて成果が現れ出した。平成23年度から本格的な経営改革に取り組み、平成21年度当時に年間7〜8億円あった経常赤字はなんと平成25年度には1億円台に減少、資金不足も解消したのである。院長以下全職員の意識が変わり、好循環に向かった成果といえるだろう。

 

 

長く続いた「冬の時代」
からの脱却。

245_TokonameShimin_2015 同院はなぜ、存続の危機に陥ったのだろうか。簡単にこれまでの経緯を振り返ってみたい。同院の開院は、昭和34年。病床数188床・8診療科の総合病院としてスタートした。その後、病床数を増やし、救急や小児医療など市民の多様なニーズに応え、地域の診療所と連携を図り、常滑市の中核病院として重要な役割を果たしてきた。だが、昭和50年代に近隣の公立病院が相次いで新築したことなどから患者離れが始まった。さらにその後の医療制度改革に始まり、診療報酬の改定や、臨床研修制度の開始に伴った大学による医師の引き上げなど、病院に対する社会の大きな波を乗り越えることができず、経常赤字に転落。市の財政悪化とともに、「市民病院は要らない」という不要論まで囁かれるようになった。
 そして、医師不足に拍車がかかり、幅広い診療科を持つ総合病院として質の高い医療を提供できなくなり、病院機能の低下と施設の老朽化が、いっそう人材確保を困難にしていった。職員は疲れ、モチベーションも低下していくなど、まさに負のスパイラルに陥っていったのである。その長い長い冬の時代を、同院はようやく乗り越えようとしている。

 

 

病院機能を再編し、
ケアミックス型病院へ。

222_TokonameShimin_2015 同院は、どんな病院に生まれ変わるのだろうか。中山院長は明るい表情で病院の未来を語る。「急性期医療を主体としつつ、回復期医療などにも取り組む、ケアミックス型病院に生まれ変わります。まず柱は、救急医療を含めた急性期医療。常滑市民の救急医療を守るとともに、高度な医療を実践し、医師確保にも力を入れていきます。その上で、地域の高齢化に対応し、総合診療も視野に、急性期を脱した後の患者さんを積極的に受け入れていく計画です。新病院の病床数は267床。中規模病院の良さを活かして、急性期から在宅までの医療の流れをシームレスに提供できると考えています」と中山院長は構想する。
251_TokonameShimin_2015 病院の精神を決定づける基本理念は、冒頭で紹介した100人会議で満場一致で採択された。「小さいからこそできる<コミュニケーション日本一の病院>を実現する」という実にわかりやすいフレーズだ。この短い言葉には、顧客(患者さんと健康な常滑市民)とのコミュニケーション、スタッフ間のコミュニケーション、地域連携のコミュニケーションのすべてにおいて日本一をめざそう、という決意が込められている。「一つめに、患者さんはもとより、市民の皆さんのニーズをしっかり受けとめて、きめ細かく応えていきます。二つめに、職員みんなが職種の垣根を越えて協力し、病院全体が一つのチームとなって質の高い医療を実践します。三つめは、地域の医療機関や介護・福祉施設、行政などとしっかり連携していきます。三つの<コミュニケーション日本一>をめざして、私たちは生まれ変わります」と中山院長は宣言する。市民と医療者を繋ぎ、生活と医療を繋ぐ新・常滑市民病院。市民の熱いエールを受けて、まもなくオープンの時を迎える。

 

 


 

column

コラム

●100人会議から始まった市民参加の活動は、現在まで続いている。平成26年秋に行われた「新病院のボランティア募集」には多くの市民が登録を希望。新病院のオープン後は、玄関での送迎や車いす患者の介助、院内での案内や支払機などの操作説明、植栽管理など、さまざまなシーンで市民が病院運営をサポートする予定だ。

●市民が病院運営に参加するだけでなく、職員が市民とふれ合う機会を作る活動も始まっている。地域住民への日頃の感謝の気持ちを届ける「病院祭」は、平成27年で4年目を迎える。また、看護局では「健康ひろめ隊」を結成。市内で開催されるさまざまなイベント会場に看護師たちが出向いて、市民の健康チェックなどを行っている。病院主催の市民公開講座では、がんや腎臓病について医師が講演するなど、病院のスタッフと市民が気軽に行き来し、コミュニケーションを深めていく。コミュニケーション日本一の病院づくりは、着々と進行している。

 

backstage

バックステージ

●地域医療を守り、育てていく上で、もっとも大切なものは何か。その一つは、住民と医療者の対話であることを、常滑市民病院の再生物語が示している。住民と医療者は、もともと反目する関係ではない。医療者が住民の声に耳を傾け、住民が医療者の仕事に対する理解を深める。双方が共感と信頼の心を持ち寄ることができれば、そこから有益な対話が始まる。

●対話の延長線上に生まれるのは、住民の「自分たちこそが地域医療の担い手」という意識だろう。同院の100人会議では、最終的に市民の間から「みんなで病院の応援団になろう」という声が生まれたという。市民がオーナーシップを持ち、わが町の病院をサポートすれば、これほど心強いものはない。同院の起死回生のプロセスは、経営難にあえぐ自治体病院再建のモデルケースとして、今後も大いに注目を集めていきそうだ。

 


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