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病院を知ろう

ER型救急のパイオニアとして
優秀なER医を育て、地域へ還元していく。

名古屋掖済会病院


病院メイン_08掖済会

ER型救急における愛知県のモデル病院として実績を挙げ、他病院から大きく注目を集める名古屋掖済会病院。
なぜ、ここでER医が育つのか。
その理由は、蓄積された救急医療のトレーニング機能にあった。

名古屋市中区にある名古屋掖済会病院は昭和23年開院。東海地区第一号の救命救急センターとして、名古屋市南西部地域を中心とした旧医療を支えるとともに人材育成の場としての役割も果たしてきた。ここで研修を受けた医師の多くは、今東海地区のさまざまな病院へすだち、第一線で活躍している。ER医の教育に情念を傾ける同院の取り組みを追った。

 

 

東海地区第一号の救命救急センターとして
ER型救急モデルを確立。周囲の評価は高い。

109232 名古屋掖済会病院の、三次救急医療の歴史は古い。昭和53年、東海地区では初めて救命救急センターの指定を受け、重篤な疾患を中心に幅広い救急疾患に対応してきた。救急の受け入れ体制は、各診療科の医師が交替で研修医を指導しながら運営する、いわゆる「各科相乗り型」だった。この体制に転機が訪れたのは、平成11年。当時、外科部長だった北川喜己(現・名古屋掖済会病院副院長・救命救急センター長)が、「救急の現場にも核となって統括する専従の医師が必要ではないか」と提案し、大宮孝前救命救急センター長とともに救急科を開設、北川医師が初代部長(兼務)に就任し、名乗り出た医師が1名ER専従になることで動き出した。当時は救急科そのものが認知されていない。研修医からも「救急科って何をするんですか」と聞かれるほどだったという。しかし、救急科の専従医(以下、ER医)を置いたことで、現場は少しずつスムーズに回り出し、治療の標準化も進んだ。また、患者満足度が上がり、クレームも格段に減った。やがて研修医のなかから一人、二人、初期研修を終えた後も「救急科に残りたい」という者が現れ、気がつけば、救急科は総勢10名のER医を抱える大所帯になっていた。
 ER医が専従して一次から三次まで幅広い救急患者を受け入れるシステムは、北米型ERシステムと言われるもので、近年日本でも取り入れる病院が増えてきた。この背景には救急の質的転換がある。ひと昔前は救急の多くは交通外傷が占めていたが、高齢化とともに複雑な疾患が増え、救急の現場にもコントロールタワーとなるER医が不可欠となってきたのだ。
 ER医とひとことで言っても病院によって捉え方はまちまちで、ER医がICU管理まで担うところもある。しかし、同院におけるER医は、救急患者の初期診療を行い、場合によっては緊急処置をしてから専門医へ引き継ぐまでが担当となる。それ以上の手術や集中治療は、専門医に委ねられる。まさに、純粋な北米型ERシステムである。また、日本のどこにもモデルがなかった頃から、同院がこのシステムを採用できたのは、心筋梗塞、脳卒中、熱傷、四肢切断といった重篤な疾患をしっかり治療できる専門医のバックアップがあったからとも言える。とくに四肢切断再接着に精通した整形外科医をそろえ、四肢外傷において高い治療実績を誇る。言い換えると、同院の高度医療機能を最大限に活用するために生まれたのが、同院のERモデルなのである。

ER医に求められる「5つの能力」を徹底的に仕込む。

109240 ERシステムを軌道にのせるとともに、北川が全力を注いだのは、ER医の育成だった。「研修医に救急のいろはを教えることで、ER医を増やしたい。また、将来どんな専門医になっても、その根底の部分で救急医療を理解できる医師を育てたい」という強い思いからだ。
 北川は救急研修にやってきたレジデントに5つの課題を与える。1つ目は重症患者に対する初期対応能力。2つ目は救急診療に必要な治療や検査、手技。3つ目は、プライマリケア(疾病の初期治療)。独歩で来院した軽症患者に対し、指導医のもとでグローバルスタンダードの治療法を勉強する。多種多様な症例が集まるERは、実はプライマリ研修の絶好の場になるという。
 そして4つ目は重症化を未然に防ぐ判断能力。ありふれた症状で受診する患者の、隠れた疾患を見落とさないこと。5つ目は不安を抱えて来院する患者に対する心理面のサポートだ。この2つは繋がっており、ER医にとってもっとも大事な能力だという。すなわち、軽症患者に対しても冷たくあしらうことなく親身になって話を聞くことで、隠れた病気に気づくことができるからだ。たとえば胸の痛みを訴えない、あるいは心電図に特徴的な変化の見られない心筋梗塞、風邪の症状を訴えるくも膜下出血なども、ベテランのER医なら見落とすことはない。「それは全体の症例数から見れば、ほんの1%程度に過ぎませんが、そこを診断できるのがER医だと思うのです」と北川センター長は言葉に力を込める。

 

大学にはない実践的なER医の教育プログラム。

109125 北川センター長がER医の指導に情熱を傾ける理由に、救急医療を取り巻く教育環境がある。現状では本来医育機能を担うべき大学に、ER医を育てる環境が整備されていないのだ。ここで言うER医とは、いわゆる認定制度における「救急科専門医」と必ずしもイコールではない。救急科専門医の資格は、5年以上の臨床経験をもち、救急部門で3年以上の臨床修練を行うなどの条件をクリアすれば受験できる。そのため、別の専門医でありながら、救急科専門医の資格も有している医師もいる。また一般に、救急医というと集中治療室専従医のイメージもあるが、同院のER医は純粋に救急の現場に常駐する医師を指す。
 「ようやくER医に対する認識が生まれ出し、学会のなかでも医師が育ち始めたかなと感じています。そういう状況なので、まずは我々が率先して教育にあたらなくてはなりません。僕は“のれん分け”と言っているのですが、ある程度育ってきたら、ほかの病院でそれを実践してほしい。そして少しずつ仲間を増やし、掖済会モデルのER型救急システムを全国へ広げていきたいと考えています」(北川センター長)。

「救急のトレーニングの場」という公共的な使命を果たし続けていく。

109327- 今、同院のERで学んだ研修医たちは、東海地区のあちこちの病院に分散し、救急医療の最前線で活躍している。「そういう活躍を知ることがとてもうれしいんですね。当院が救急のトレーニングセンターになればいいと思うんです」と加藤林也院長も、北川センター長の背中を押す。医師不足が言われる昨今だが、同院には自らの医師の確保だけを優先する姿勢は全く見られない。若い医師を育て、地域へ還元していこうとしている。その理由について加藤院長は、「平たい言い方をすれば、昔から当院は損得を勘定しない病院なんですね。これは当院のDNAだと思うんですが、職員も自己犠牲をいとわない人が多い。患者さんのためなら、朝から晩まで働いてもいい、という。そんなマインドが、医師教育にも反映されていると思います」と話す。
 必要とされるから救急医療に全力を注ぎ、若い医師を教育することで救急医療向上に貢献していく。そんな公益性を貫く姿勢に、東海地区第一号の救命救急センターとしての矜持が垣間見えた。


 

column

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●北川副院長は多忙だ。何故なら「15の顔」をもっているからだ。院内では副院長、救命救急センター長、救急科部長、外科部長、臓器移植委員会の委員長と5つの顔。院外では愛知県医師会救急委員会副委員長、日本DMAT(災害派遣医療チーム)インストラクター、日本ATOM(外傷外科)インストラクター、JATEC・JPTEC(外傷初期診療)インストラクター、日本ACLS協会掖済会トレーニングサイト長を務め、行政関連では愛知県救急搬送対策協議会、愛知県MC(メディカルコントロール)協議会、海上保安庁MC協議会などの委員を務め、これだけでも合計9の顔をもつ。

●広範の役割をこなすのも、「ER医は地域や社会との関わりのなかで育つ。僕が外と繋がることで、当院の若いER医が参加できる場を広げたい」という思いからだと語る。ちなみに、15番目の顔は、“素”の顔。お酒を飲みながら誰とでも楽しく語り合い、気持ちの通じ合う仲間となって、それが明日への活力源になるのだという。

 

backstage

83o83b83N83X83e815B83W●北川副院長の広範にわたるエネルギッシュな活動を知り、あらためて社会が救急医療の指導者を求めていることを実感した。これは言い換えると、救急医療に精通した指導者の層が薄いことを示しているのではないだろうか。北川副院長をはじめ、一握りの救急医療のリーダーたちが身を削って救急医療の明日を考え、啓蒙活動や指導教育にあたっているのだ。

●日本では戦後、大学の医学教育システムを整備するなかで「臓器別専門医」の育成に力を注ぎ、それは一定の成果を生み出してきた。しかし救急医療分野に関しては、医師の教育が立ち後れていると言わざるを得ない。大学と医療機関がともに力を合わせ救急医の育成に力を注ぐことが、明日の救急医療を守っていくことに繋がっているのではないだろうか。

 

 


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