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病院を知ろう

地域全体を一つの病院にしたい。
夢を追い求めた、
院長の熱き挑戦の記録

伊勢赤十字病院


病院メイン_10伊勢赤十字

急性期に特化した地域の中核病院となるために。大胆な改革が、紹介率100%という奇跡を生む。

三重県南勢地区の地域医療を担う伊勢赤十字病院。病床数655床を有する同院では、平成17に就任した村林院長の指揮のもと、手術・入院中心の病院をめざし、大胆な外来患者の削減に乗り出す。新たな病院の姿をめざした「大改革」。その軌道を追った。

思い切った改革を断行し、確かな変貌を遂げた伊勢赤十字病院。

 伊勢赤十字病院は、日本赤十字社最初の支部病院として、明治37年に創設された。その後、大正15年に度会郡御薗村(現在の伊勢市御薗町)に移転し、以来、南勢地区の基幹病院として地域医療に貢献してきた。
 ただ、近年はかつての輝きを失い始めていた。長い歴史を持つ病院だけに、同院を愛する根強いファンは多い。院内を見渡せば、夕方まで外来の患者が押し寄せる。その姿は地域の中核病院ではなく、まるで規模の大きな診療所のような状態だった。そんな同院に改革をもたらしたのが、平成17年院長に就任した村林紘二だった。
 村林院長がまずメスを入れたのが、膨大な数の再診患者だった。手術・入院中心の病院へと舵を切るため、足しげく通う“常連”の外来患者を、同院から地域の診療所に任せる。いわゆる“逆紹介”を積極的に行ったのだ。この改革により、同院の外来患者数は大幅に減少。改革前の平成15年度と比べ、月平均の外来患者数はおよそ1万6000人減った。
 とはいえ、大胆な改革への反発もあった。「いつもの先生に今まで通り診てほしい」。「気心が知れた患者と楽しく外来を続けたい」。そんな声も聞こえてきた。村林院長はこうした患者や医師に粘り強く説得を続ける。だが、逆風はこれだけではなかった。外来患者の減少に伴う一時的な減収は予測していたが、予想以上に紹介患者数が伸び悩む時期が長く続く。収益は1ヵ月あたり1億円近く減少。「職員の前では大丈夫と言い続けましたが、当初の3年間は苦しかった」と村林院長。夜も眠れない四面楚歌の状態が続く。
 変化の兆しが見え始めたのは、院長就任から1年半後のこと。転勤になる内科医が、別れ際にこんな言葉を残していったのだ。「外来を減らす先生の方針、僕は賛成です」。その後も徐々に理解者が増えていった。そして、3年半を過ぎた頃から紹介患者が増加。そして遂に、平成21年には、外来減少の損失分を入院患者増による収益増が上回り、晴れて黒字化を果たした。
 とにかく紹介状を持って来てもらう。これを市民に徹底して根付かせたことで、同院の紹介率は100%を達成。これは全国的にもまれに見る快挙だった。

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村林院長の改革を支えた病院のステータスと、医療者としてのプライド。

45-0321-01 村林院長を大胆な変革へと突き動かしたもの。それは「ステータスを感じることができる病院にしたい」という信念だった。村林院長がいう“ステータス”とは、地域医療を担う中核病院としての立場や役割を果たすことだ。「急性期の入院医療を担う地域のパートナーとして、頼りになるのはここだと思われる病院をめざしたかった」と村林院長は語る。
 実は、村林院長が行った改革は、院長時代だけに留まらない。同院に赴任した当初から、一人の外科医として病院改革に奔走し続けてきた。「私が赴任した当時は、入院患者のほとんどが内科患者。たくさん手術をして経験を積みたかった私は落胆しました。でも、頑張れば変えられるかもしれないと発想を転換し、なんとか盛り立てていこうと考えました」。幸いにも院内は患者であふれている。手術は週に2、3件のため、時間もたっぷりある。そこで村林院長は、内科の先生に「この症例の手術をさせて下さい」と頼んで回った。すると内科医も好意的に迎えてくれたのだ。そして、村林院長は、若手医師と一緒に外科チームの改革を進めていく。その結果、同院の手術件数はウナギ登りに増加し、平成7年にはついに三重県トップに。一人の外科医が病院を大きく変えた瞬間だった。

地域の基幹病院を取り巻く2つのあるべき姿。

unknown.jpeg ただ、輝かしい実績だけではない。副院長時代には挫折も経験した。連携システムを強化するため病診連携室を設置し、紹介率も徐々に上がり始めた矢先、院長交替で方向転換を迫られた。平成9年の副院長就任からおよそ8年間。この雌伏の期間を乗り越え、村林院長は自らが描いた改革を成就させたのだ。
 地域を担う基幹病院のあるべき姿には、「病院完結型医療」と「地域完結型医療」という二つの異なる考え方がある。「病院完結型医療」は、自院だけで完結した医療をめざす考え方だ。この方法では自ら多くの外来患者を抱えるため、目先の収益は確保しやすい。だが、外来診療の負担が大きくなれば、医師たちの疲弊を招き、より高度な医療の提供はままならなくなる。
 一方、「地域完結型医療」は、現在の伊勢赤十字病院のように、地域との連携に基づいた病院のあり方を指す。外来機能は可能な限り地域の診療所に委ね、自らは救急機能や手術機能に特化する。伊勢赤十字病院が直面した通り、外来患者を大幅に削減すれば、一時的な収益の悪化は避けられない。ただその分、入院・手術からより大きな収益を上げられるようになり、長期的には経営も安定化する。さらに、病院と診療所との役割分担が進めば、互いの持ち味を最大限に発揮することができ、地域の医療の質の向上にも繋がっていく。

快適な設備と環境を備え最高のサービスを追求する「どこにもない病院」へ。

45-0102 徹底した改革で変貌を遂げた伊勢赤十字病院。平成23年12月には伊勢市船江への新築移転も果たし、名実ともに「地域医療の顔」となりつつある。
 新病院の設計コンセプトは、「職員のための病院」だ。当初、設計担当からは「患者のため」を第一に考えた提案が上がってきた。だが、村林院長は「職員が満足できる病院にしてほしい」と変更を依頼した。職員は患者の視線に四六時中晒されている。でも、それでは大きなストレスを感じてしまう。そのため、新病院では患者動線と職員動線を分け、患者の視線から離れて職員がくつろげる、そして、明るさ重視の空間を作った。

 

45-0091 「患者さんが病院に期待するものは、質の高い医療サービスの提供です。それには職員が満足できる病院でなければならないはずです」と語る村林院長。職員の満足度を高めることが、ひいては質の高いサービスとなって患者に還元される。さらには、「この病院で働きたい」と思える快適な環境を整備することで、地域外から若い医療職員を獲得する呼び水にもなるだろうと村林院長は期待している。
 新築移転を経て、同院の改革はすでに次のステージへと進みつつある。最近では自院の職員の派遣を実施し始めた。現在、地域の診療所に管理栄養士を派遣しているが、今年4月からは薬剤師を、夏ごろからは理学療法士も派遣する予定だ。さらに、へき地の医療を守る三重県のへき地医療対策部会に入り、尾鷲市などへの研修医の派遣も実施している。三重県南勢地区での同院の存在感は、ますます高まりを見せている。
 「今まで夢中でやってきました。徐々に地域から頼りにされる病院になってきたと思いますが、まだ7合目くらいですかね」と村林院長。誰からも信頼され、職員が誇りを持って働ける病院をめざして。村林院長はさらなる高みを見据えている。

 


 

column

-83r83898380●村林院長が実現した大胆な改革から見えてくるのは、目先の利益ではなく、とにかく病院のステータスを高めたいという医療者としての強い信念とプライドだ。「みんなが誇りを持って働ける病院にしたかった」と語る村林院長。地域の診療所の先生方からも一目置かれる、そんな病院へと変えていきたいという強い思いが、周囲の猛反発という苦難のなかで、村林院長を奮い立たせた原動力だった。

●ひとりの外科医として赴任し、自ら外科チームを改革へと導いた若い日の村林院長を動かしたのも、医師としてのプライドだった。設立当初の輝きを失いかけていた同院に新たな風を吹き込み、外科から内科、そして院内全体へと変化の輪が広がっていった。その光景を見て、ある放射線の技師長は、「村林効果だ」と言ったという。院長となった今、「村林効果」は、伊勢市近郊の地域医療、さらには三重県全域へと、その影響の輪を徐々に広げつつある。

 

backstage

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●現在、急性期を担う基幹病院が核となり、地域に点在する医療機関と手を携えて医療の質を高めていく「地域完結型医療」の実現に向けた動きが全国で活発化している。今後も急速に進む高齢化を考えると、医療施設のみならず、介護・福祉施設を含めた地域の医療資源を有効に活用し、互いがうまく連携することは必要不可欠な要素だろう。だが、伊勢赤十字病院が抜本的な改革を行う以前の三重県下では、こうした連携に積極的に取り組む基幹病院はほとんどなかった。病院完結型医療が大勢を占めていたのだ。

●伊勢赤十字病院が行った連携システムの構築は、三重県のみならず全国的にも類を見ない大改革となった。複数の病院がそれぞれの機能を最大限に発揮し、地域をあたかも一つの病院として機能させる。そんな見果てぬ夢は、村林院長の下で、正夢になろうとしている。

 


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