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憧れだった仕事が、
私のなすべきことに変わった瞬間。

山之内千絵名古屋第二赤十字病院 国際医療救援部


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赤十字の国際ネットワークの一員であり、この地域有数の規模を誇る
名古屋第二赤十字病院。国際医療救援拠点病院としての側面を持つ同院で、
「看護師として海外で医療活動がしたい」という夢を叶えた看護師がいる。
憧れと現実、必要なスキルと思考、病院の体制、そしてこの先…
彼女のストーリーを通して国際医療支援看護師という仕事を探る。

 

 


国際医療救援の現場で働きたい!

その夢を叶えた看護師の姿から見えてきたもの。


タンザニアでのミッションを終え帰国。彼女が行った国際医療救援とは?

02 去る今年の3月、名古屋第二赤十字病院で行われたとある記者会見。安堵と充実の表情を顔にたたえ、記者たちに囲まれる女性がいた。
 1年にわたるタンザニアでの国際医療救援活動を終え帰国した看護師、山之内千絵である。記者会見はその彼女が現地で行った救援活動の報告会として開かれたものだ。
 国際医療救援活動とは、日本赤十字社が各国赤十字社などと協力し、世界各地の紛争地域や災害地域へ医療救援や生活向上のための支援を行う事業のことである。同病院は国内に5つある国際医療救援拠点病院のうちの一つとして院内に国際医療救援部を設置。同活動に力を注ぎ、これまでも多くの病院スタッフがパキスタンやハイチ、そして先日の東日本大震災の被災地をはじめとする世界各地で救援活動を行ってきた。彼女もその一人である。
 今回、山之内が参加したミッションは、日本赤十字社とタンザニア赤十字社が共同で行う難民支援事業。現地の難民キャンプを中心に、医療環境の整備や病気予防の啓蒙活動、現地保健スタッフの育成などを行ってきた。2004年から継続されてきたこの活動が一定の効果をあげ当初の目標を達成したことから、日本赤十字の支援活動が終了することになった。それにともなって彼女も帰国することとなったのだ。

幼い頃の夢は、海外で活躍する看護師。
「ここでならできる」、直感を信じて再スタート。

03 そもそもこうした海外での医療活動は、山之内の幼い頃からの夢であった。「小さい頃テレビで難民の人々に医療活動している人を見て、私もこういう仕事がしたい!と思った」という。一方で、体が不自由な祖父の世話をする祖母や母親の姿を見て、「私が看護師になれば、お母さんたちが少しは楽になれるかも」と、看護師になる夢も抱いていた。
 地元の鹿児島の看護専門学校を卒業後、大阪の病院にいったんは就職。だが看護師になることが最終目的ではない山之内は、かねてからの二つの夢の実現のために具体的な行動に出る。まずは病院を退職し、語学力を磨くために留学。帰国後、今度は海外へ医療派遣を積極的に行っている病院を探した。
 「就職活動にはさほど時間はかかりませんでした。海外の医療派遣を行っている病院はいくつかありましたが、ネットでこの名古屋第二赤十字病院の看護師さんが活躍する様子を見て、直感的にここだ!という感覚があったんです」。
 自分のやりたいことがこの病院ならできる、山之内はそう確信したのだという。「ですから就職時にいずれは海外で国際救援がしたい、という想いは伝えました」。
 しかしすぐに国際医療救援のスタッフになれたわけではない。入職後はまずは循環器病棟に配属。「前の病院での経験が少なかったので、まずは一から勉強をしようと思いました」と山之内。
 看護師経験を積み、ある程度自信が付いたところで彼女が国際医療救援部付けの看護師募集に改めて応募したのは、同病院に入職後6年経ったときだ。そして病院と日本赤十字社が定める研修を無事修了し、初めて海外に派遣されたのは、さらにその1年後である。

国際医療救援に求められるのは、
目先の問題解決ではなく先に繋がる仕組みづくり。

 前述した今回のタンザニア派遣の前には、フィリピンへの保健医療支援事業にも参加している山之内。ミッションは派遣先でそれぞれ異なるものの、現地での役割は患者の看護というよりも、その地域の医療環境の整備から始まり、それに必要な資金管理や運営監査、また地元保健スタッフの育成などマネージメント的な仕事が多かったという。06
 「日本では経験のない管理の仕事に、最初は苦労もありました。日本に比べると現地は器具、薬、人材も何もかもが足りない状態。でも、人々の生きようとする力をすごく感じた。だからこそ私たちがいなくなった後も、現地の人たちが自分たちで医療を継続していける仕組みをつくることが大切だと実感した」と山之内。
 医療救援というと緊急的な治療や手当てをイメージするが「そこで終わってしまっては意味がない」と山之内は言う。今だけで終わらないその先を見つめたサスティナブルなシステムを構築すること。それが現地の人々にとっての最良の医療サービスなのだ。

ゼネラリストを育成するための病院からのサポートが看護師を成長させる。

05 では現地でそれを遂行する看護師に求められる大きな要素は何か?
 「海外の現場で必要とされるのは幅広い視点と総合的な知識」という山之内の言葉から、ある一定分野のスペシャリストというよりも、より多くの知識とスキルを兼ね備えた“ゼネラリスト”、という答えが見えてくる。事実、彼女も現地派遣前には“国際医療救援部付け看護師”として、国際医療救援に必要な研修とともに、さまざまな診療科目へ数カ月毎のローテーション勤務を行い、幅広い知識やスキルの習得に励んだという。
 ちなみに「国際医療救援部付け」というのは、同院でも看護部だけにある研修制度だ。国際医療救援を希望する看護師を積極的に支援し、国際医療救援の現場で活躍できる人材を育成するべく10年前に発足。その心強いサポートと理解が看護師たちの成長と志を支えているといっても過言ではない。
 最後に夢を結実させた山之内に今の気持ちを聞いてみた。「現地に行けば行くほど、自分はまだまだだな、と思い知ることばかりでした。帰ってきて思うのは、もうちょっとこうすれば良かった、とか、ここができれば良かったのに、など課題ばかり。行って終わりではなく、行ったからこそ次に活かしたい、そう思いますね」。
 看護師として「海外で医療活動がしたい」という幼い頃の夢を、決してぶれることのない強い意志で叶えた山之内。次は自身が得た経験とスキルを同じ志を持つ後輩へと繋いでいく番だ。


column

backstage1

 ●日本赤十字社が国際的な赤十字ネットワークを通じて行っている、国際医療救援事業の重要な役割を担っている、名古屋第二赤十字病院。10年前には国際医 療救援部が発足。病院をあげて職員に活動の理解や協力を求めるとともに、多くの職員を海外派遣し、被災地や紛争地域で人道的支援の実績を残している。これ までの主な派遣先は、スマトラ沖地震の被災地、イラン南東部地震被災地での被災者救援やアフガニスタン医療復興支援など。

●2010年に は同院の看護部が「国際医療救援部付け」という研修制度を設置し、国際救援を希望する看護師の支援体制を強化。キャリアに合わせた研修計画の立案から研修 参加のサポートなどを積極的に行うことで、より高度なスキルを持った国際救援要員の育成へと繋がっている。

 

backstage

●地元の人々からは親しみを込めて「八事日赤」と呼ばれている、名古屋第二赤十字病院。この地域有数の高度医療を提供する病院である。なかでも全国屈指の救命医療機能を有する救命救急センターは、地域の「命の砦」としてその期待と信頼を一身に背負っている。

●救命救急以外にも名古屋第二赤十字病院にはさまざまな顔がある。国内災害救護拠点、地域がん診療連携拠点、地域医療支援拠点、臨床研修指定拠点、そして、今回取材した国際医療救援拠点病院などがそうだ。

● 東日本大震災という未曾有の災害を目の当たりにした我々にとって心強いのは、国内災害救護拠点病院としての機能の充実ぶりだ。今回のようにライフラインが 途絶えたとしても、復旧まで最低3日間稼動させられる自家発電装置を備えるなど、災害時でも医療提供を維持し続ける環境を有している。

 


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