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病院を知ろう

肝臓病の最先端で
闘い続けた30年。
一人の医師と、病院と。

 

 

大垣市民病院


世界が評価する血液データベース。
C型肝炎、B型肝炎、肝臓がん…。
熊田 卓医師の足跡は、肝臓病の進展とともにある。

main

我が国に、ウイルス性肝炎が蔓延したとき、一人の医師が肝臓専門の医師となった。
以来、内科医の枠にこだわることなく、放射線科、外科の領域にも視野を広げ、低浸襲を貫き、患者への治療に取り組む。
その長き年月は、我が国、肝臓病征圧の年月でもある。

 

 

 

 

 

治療成果を求め、
貪欲に挑戦する。

 今から30年ほど前の昭和59年、大垣市民病院の消化器内科で、外部の医師によるIVRでのリザーバー留置術が行われた。それを食い入るように見つめていたのは、当時30歳を少し出たばかりの同院・消化器内科の熊田 卓医師。現在、副院長で消化器内科部長を務める、肝臓疾患の専門医である。
407114 熊田医師は言う。「当時から私は、肝臓がんの治療に、低侵襲のIVRによる肝動脈塞栓術を数多く行っていました。そうしたなかで、放射線診断医である荒井保明先生(※)のリザーバー留置術に関する論文を読み、とても感激したのです。それで全く面識のない荒井先生に連絡をして、ぜひ当院で実際にやって教えてほしいとお願いしました」。
 IVRとは、画像診断技術を応用し、カテーテル(医療用の細い管)を血管、または体内に入れ治療する方法。肝動脈塞栓術は、肝臓にできたがんに栄養を送る肝動脈を塞ぐ治療法を指す。そして、リザーバー留置術だが、まずリザーバーとは、簡単にいえば薬剤の投与口となる器具。その先に繋がるカテーテルを肝動脈に留置し、必要に応じて、皮下に位置するリザーバーから、肝臓に薬剤を投与するというものだ。
 IVRによる塞栓術、リザーバーと歩んできた熊田医師。平成に入ると、今度はIVRによるラジオ波焼灼術に取り組む。これは肝臓に針を刺して、電磁波の一種であるラジオ波でがんを壊死させるという治療法である。
 こうしてみると、熊田医師は内科医でありながら、放射線領域や外科領域に果敢に挑戦したことが解る。その理由を、「私の専門である肝臓病、なかでも肝臓がんには、内科的な治療で効果が高いものがありませんでした。そのため、少しでも成果が出ている治療法がないかと、探し続けていました」と語る熊田医師。放射線をはじめさまざまな領域の学会にも参加し、最新の治療情報にアンテナを立てていたのだ。

※ 現・国立がん研究センター中央病院 病院長。

 

 

肝臓病治療の最先端に、
常に立つ。

  熊田医師は、昭和52年に名古屋大学医学部を卒業し、最初は小児科医をめざした。それが消化器内科の肝臓専門へと方向転換したのは、「研修医として大垣市民病院に来たとき、消化器科の部長に、『肝臓をやる人がいないから、ぜひやってくれないか』と熱心に誘われましてね」。
 まず取り組んだのは、当時まだ走りだった、ラジオアイソトープ(放射線同位元素)による肝機能、ウイルス、そして、がん腫瘍マーカーの測定。それまで集積していたデータを、まとめるというものだった。折しもその頃、医療界には超音波検査やCT検査が登場。そうした検査装置を、大垣市民病院はいち早く導入し、なかでも全身用CTは、市中病院で国内初。「今まで見えなかった肝臓の断面が見えるようになった」(熊田医師)。目を見張るような医療技術の進歩を、彼は自らの臨床と研究に取り入れていった。
 407502同院で5年間勤務した後、熊田医師は大学に戻り肝臓の研究室に入る。そこでは高速液体クロマトグラフィーという装置を使い、当時注目を集めていた、肝臓で生合成された胆汁酸の測定を研究。大垣市民病院で、劇症肝炎で命を落とした患者の血液と、助かった患者の血液とを比較分析し、測定値によってその後の経過が予測できるようにした。
 そして、2年後、再び病院に戻った熊田医師は、低侵襲をテーマに最先端の治療に挑戦し始める。目をつけたのは、外科的手術よりも患者への負担が少ないIVR。自ら塞栓術を行うなかで、冒頭に紹介した荒井医師の斬新な発想に着目したのだ。「それまでの抗がん剤治療は、全身投与が基本で、その分副作用も大きかった。それに対し、荒井先生は、抗がん剤を肝臓だけに送り込む方法を編み出したのです。少ない分量でより濃度の高い抗がん剤を局所的に効かせられる。ぜひとも取り入れたい治療法でした」。
 当時、内科医がIVRを行うというのは大変少なかった。熊田医師は、そんな時代から最先端治療に挑んできたのである。
 その後、平成初頭に、肝炎に対する内科的治療に大きな分岐点が訪れる。インターフェロン治療だ。大垣市民病院が、インターフェロン治療の治験施設に選ばれたことを契機に、熊田医師は、B型・C型のウイルス性肝炎治療に全力を注ぐ。厚生労働省の研修班にも属した研究活動も行った。

 

 

日本を揺るがせた
肝炎蔓延時代。

 肝臓は「沈黙の臓器」と呼ばれ、患者の自覚症状がないまま病気が進行し、発見時には手遅れになるケースが多い。肝臓の病気にはさまざまな種類があるが、我が国で最も多いのは、肝炎ウイルスに感染して発症するウイルス性肝炎である。そして、このウイルス性肝炎により、長い年月の後、肝臓がんを発症するケースが多く、その8割がC型肝炎、1割がB型肝炎からである。肝臓がんとなった場合、5年以内に7割以上が再発するといわれ、胃がんや大腸がんと比べると、治療が一度で終わらないのが特徴である。
 ウイルス性肝炎への感染は、昭和の後半から平成にかけて、我が国の大きな社会問題であった。集団予防接種での注射器の使い回しや、輸血に使われる血液製剤などから、肝炎が蔓延する時407405代が長く続いたのである。特にC型肝炎については、現在でも全国でおよそ200万人の感染者がいると推定される。
 肝炎が蔓延した時代、それはまさに熊田医師が、医師として歩み始めた頃である。大垣市民病院が、患者の増大を見据え、肝炎に対する治療体制の充実に力を注ぐなかに、熊田医師は飛び込んだことになる。そして彼は、いわば国民的なニーズに応えるべく、肝臓病の最前線で闘い続けてきたのだ。

 

 

肝臓病の征圧を、
最後まで見届ける。

407516 「医師になったばかりの者に、『お前に任せる。やりたいことをやれ』と言える病院は、まずありません。いくら肝臓を専門とする医師がいないとはいえ、普通では考えられないことです。そして、最先端の医療機器導入、国内はもちろん海外での論文発表など、任せた相手の環境は常に最新に整備してくれる。これが当院の風土であり、凄みだと思います」と熊田医師は話す。
 その熊田医師が、大垣市民病院において、医師人生を捧げてきた肝臓病との闘い。その激闘の歴史は、今まさに終息の時期を迎えつつある。それは、ウイルス性肝炎に対するインターフェロン治療をはじめ、新たな治療法が発展してきたことによる。その発展の一翼を、熊田医師は、自ら20年収集し続けてきた患者の血液データの分析、新たな治療法での適応を、世界に向けて論文発表し続けることで担ってきたのだ。
 熊田医師は、「肝臓病の征圧を最後まで見届けたい」と語る一方、消化器領域の主なターゲットが、大腸がんと膵がんへと移行し始めている現状を見つめ、「この分野は後進の人たちに頑張ってもらいたい」と期待を込める。そして、「当院の消化器内科は、地域のいわばセンター機能を果たさなくてはなりません。常に良質、新しい治療を提供し続けることが使命です」と言葉を繋いだ。
407309 次世代を担う人材は、着々と育ち始めている。院内はいうまでもなく、熊田医師が率いる大垣市民病院・消化器内科チームの取り組みを聞きつけ、全国各地の病院から「ここで学びたい」という、高い志の医師たちが集まってきているのだ。
 大垣市民病院を背景に、肝臓病に注いだ熊田医師の熱き魂。その意志は、新たな標的と最前線で戦う若き医師たちにしっかりと受け継がれている。

 

 


 

column

コラム

●熊田 卓医師が後進に引き継ぐ財産。その一つが、患者に了解を得て、20年間に亘り収集し続けた肝臓病患者の膨大な血液データだ。大垣市民病院の消化器内科では、このデータベースを、さまざまな治療検討の基礎として用いているが、データの解析をさらに多角的に進めることで、今後、肝臓だけではなく、その他の消化器における新たな治療法確立の可能性を持つ。まさしく宝の山がそこにある。

●熊田医師が持つデータベースの凄みは、一つの医療機関で長期に亘り収集が行われている点にある。大学病院が同様のデータ収集を行った場合、医師の入れ替わりが激しく、長くても5年・10年程度に留まるケースが多く、熊田医師のデータはとても貴重な存在。なかには、ウイルス性肝炎患者の経年変化を40~50年スパンで追ったものもあり、それは国内に留まらず、海外の著名な医療機関、医師などから称賛の声が上がっている。

 

backstage

バックステージ

●「この病院で学びたい」と、研修医はもちろん、すでに医師として活躍している現役の医師が、大垣市民病院の門を叩いている。熊田 卓医師が部長を務める消化器内科でも、北は北海道、南は九州まで、すでに50人余りがここで学び、そして全国へと巣立っていった。

●他を圧倒する診療実績と高度な医療技術、さらには世界へと発信し続ける豊富な研究内容が、志の高い医師を惹きつける要因といえよう。

●「大垣大学」とも称されるような、学び舎としての大垣市民病院の礎は、同院の森 直之初代院長によって築き上げられた。森初代院長は、何より「人が大事」だと説き、良い人材の獲得に心血を注ぎつつ、アカデミズムの要素を埋め込んだ。氏から注入された伝統は、今もなお同院のDNAとしてしっかりと刻み込まれている。

 


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