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病院を知ろう

時代の要請に応え、
高次の救急医療システムを
進化させる。

 

 

江南厚生病院


地域の医療資源を活用し、
救急の<トリアージセンター>として
存在感を増す。

main

江南厚生病院は、平成27年10月、第三次救急医療機関として救命救急センターの指定を受けた。
初代救命救急センター長として、平成27年2月に招聘されたのが、救急医療に深く関わってきた麻酔科医竹内昭憲だ。
彼の救急医療の知識や経験を活かし、同院がどのような救急システムを構築しようとしているのか。
その今を追った。

 

 

 

 

 

地域救急医療の
<命の砦>。

 江南厚生病院の救急医療は、内科系と外科系の当番医・当直医が救急搬送患者、あるいは独歩で来院した患者を救急外来で初期診断し、その後、各診療科に繋ぐという形を採ってきた。これは二次救急病院での一般的な形であるが、同院の際立った特長は、全診療科が一丸となって救急医療に臨み、救急外来から要請があると、すぐさま患者を受け入れ専門治療を開始することにある。
 それはなぜか。江南市周辺には二次救急に対111003応する病院が限られ、救急隊にとって同院に向かう以外選択肢はない。<ここ>しかないのだ。その実情に対して、院内には「自院でできることは何でもやる」という文化が根づき、「我々が地域の<命の砦>」という気概を、医師や職員が等しく持ち続けている。
 ちなみに、平成26年度の年間救急患者数は2万9080人、救急搬送数は6467台を数え111007る。また、消防署の救急救命士の就業前教育や現任教育なども引き受け、地域の救急医療を支えていこうとする姿勢が鮮明だ。
 その同院が、救命救急センターの指定を受けるにあたり招いたのが、竹内昭憲である。彼は名古屋市立大学医学部を卒業後、麻酔科医として名古屋市立大学病院(以下、名市大病院)に勤務。名市大病院が救急医療システムを構築していく1980年代後半、その真っ只中にいた医師である。
 では、竹内とは一体どのような医師で、どのような道を歩んできたのだろうか。

 

 

救急医療の黎明期を、
麻酔科医として担う。

 Plus顔写真 昭和59年、名市大病院に入職以来、竹内は、救急医療における名市大病院の黎明期を、麻酔科医の一人として担ってきた。名市大病院の救急医療。キーワードは麻酔科医だ。すなわち、ICU(集中治療室)で重篤な患者の全身管理を担っていた麻酔科医が、やがてICUの専従医となり、その麻酔科医が救急外来も担当するようになる。そして、救急患者を初期診断し各専門診療科へ、あるいは一旦ICU入室後、各診療科に繋ぐという形を築いていった。これが名市大方式であり、進化を重ね、愛知県の救急モデルの一つとなる。
 竹内は、非常に忙しい日々のなか、ICUで看護師の看護記録を読み、「訴えることのできない患者さんを、つぶさに観察することでたくさんの情報を得た」と当時を語る。そして、年月を重ねるに従い、竹内は「重症患者をもっと診たい」「患者の急変に対応したい」という思いを強く抱き、救急の知識・技術を精力的に蓄積していった。
 その後、岐阜県の病院での勤務、名市大に戻っての研究生活、カナダへの留学などを経て、平成12年に名市大病院の救急部長となる。<救急患者の全受け入れ>が病院方針でもあったため、365日24時間、一次から三次(※)までを診る救急医療が本格化。竹内を含めて5人の医師は多忙を極めた。
 その忙しさのなかで、竹内は徐々にある種の疲れを感じ始める。その要因は、大学病院とは本来、一般の医療機関で実践することが難しい、先進的な高度医療を担う<特定機能病院>である点だ。そこでは、研究や教育に重心が置かれる。そうした大学病院のなかで、名市大病院は救急医療を積極的に展開していたが、それでもときには、救急部と診療科との連携が円滑にいかないケースもある。その際の調整に竹内は疲れを感じたのだ。
 「場所を変えて気分転換が必要」と考え、彼が選んだのが北海道の根室。平成20年、その地にある病院に麻酔科医・副院長として赴任した。

※ 一次は入院治療の必要がない軽症患者を、二次は手術をはじめ入院治療が必要な中等症患者を、三次は高度な専門治療が必要な重症患者を診る。

 

 

根室で気づかされた
<全診療科協力>の姿勢。

 医師数は、全診療科を合わせても十数名。それが竹内の赴任した根室の病院である。そこでも麻酔科医として救急医療に携わったが、「根室市は東西50㎞。場所によっては、救急車が出動し病院に到着するまでに往復一時間以上かかる。私が勤務していた頃は脳神経外科医が不在で、脳疾患に対応するためには、根室から120㎞離れた釧路の病院まで患者さんを送らねばならなかった」と言う。救急医としての実績を有し、一つの救急モデル構築の立役者であった竹内だが、物理的な距離、専門の違いによって行うことができない根本治療など、自らの無111024力感を感じたという。
 だがその一方で、そうした現実にあっても、<自らがやれるだけやる>医師たちとの出会いがあった。重篤患者の緊急転送時、時間ギリギリまで病院で検査を行い、その結果を持っての救急車同乗。釧路根室圏内ドクターヘリへの手挙げ式による参加…。救急系の医師も、そうではない医師も、少ない医師数で何とかしよう、命を繋ごうという強い思いが根幹にあり、全診療科の医師が協力し合っているのだ。
 その姿勢が、竹内を刺激した。そして彼もまた、病院でのすべての手術の麻酔管理、ペインクリニック(※)の開始、そしてもちろん、救急。ドクターヘリに搭乗しての救急対応も行うなど、<自らがやれるだけやる>日々を送るようになっていった。
 「北海道で少しのんびりしようか」という思111019いはいつしか消え、気力充実。「もっと勉強することがある」と考えるようになる。おそらく竹内は「医師とは」「病院とは」の根源的な問いかけを自分自身に行ったのだろう。「医療は地域全体で支えるものということを教えられた」と話す。
 竹内は根室で2年余を過ごした後、愛知県の大学病院へ赴任。そこでさらに救急医療の経験を積み、そして、新天地へと向かった。

※ 神経ブロック療法や薬物療法など、有害な痛みを緩和するための治療提供。

 

 

地域全体の
トリアージセンターへ。

 江南厚生病院に赴任した竹内が真っ先に感じたことは、「自分たちのできることは何でもやる」という文化が根づいていることだった。救急患者のすべてを診る(初期診断)素地。全診療科が救急に協力する体制。根室の病院に存在していたものが、江南厚生病院にもあった。
 「ここならやれる」と竹内は思う。大学病院のように整ったところでなくても、限られた医療資源でも、<やり方>次第で高度な救命救急はできる。
 111008そのやり方、一つは水平連携だ。例えば、同院は心臓血管外科を持たない。もし、大血管転移症の患者が搬送された場合、初期診断を行った後、地域の心臓血管外科を得意領域とする急性期病院へ転送する。もちろん、逆のパターンもある。同院は産科・小児科の周産期医療を得意領域としているため、医療圏を超えて他地域の急性期病院からの紹介がある。すなわち、高次レベルの急性期病院間の水平連携。これは新しい取り組みだ。
 もう一つは垂直連携。夜間に二次救急の患者が搬送された場合、診断、治療後、一旦は同院で経過観察を図り、翌日しかるべき病院へ紹介する。つまり、地域の病院と連携し、補完し、協力し合いながら、救急医療のトリアージセンターとしての存在感を高めていこうとするものだ。
 竹内はまた、救急搬送が集中したときのファーストタッチ(最初に行う診察)を、正確・迅速・安全に行うために、「電子カルテを応用した支援システムを活用する」と話す。これは患者情報システム(氏名・年齢・性別・病歴・病態など)と連携させることで、救急患者が重なったときなどに効力を発揮する。病棟の空き病床を確保しつつ、4床の救急病床を含めて効率よく回転_B6223させるために、「どの患者さんをどこへ、医師は…と、私は指令に徹することができる」と言う。
 竹内が進化させようとしている救急医療は、病院単独で対応するものではない。地域が持っている医療資源を最大限に活用し、そのなかで江南厚生病院を地域全体のトリアージセンターとして機能させていくというものだ。それは、地域を考えた高次の救急システムの進行形。「切迫感を持ちつつ落ち着いて対応していきたい」と竹内は結んだ。

 


 

column

コラム

●江南市には、以前、二次救急を担う病院は、JA愛知厚生連の昭和病院と愛北病院の2病院しかなかった。それぞれ分かれていると、機能や資源が分散することから、平成20年、2病院を統合させ江南厚生病院が誕生した。

●統合によって強力な救急体制が整備されたが、江南市において<ここ>しか二次救急病院がないということは、以前と変わらない。

●加えて、犬山市をはじめとする江南市周辺地区において、二次救急を担っている急性期病院はあるが、犬山市、江南市、岩倉市、大口町、扶桑町の3市2町で発生する、一次から三次の救急医療が江南厚生病院に集中。同院はそのすべてに対応することが求められてきた。

●これまでも、実質的には対象診療圏の救急医療の多くを担ってきたが、平成27年10月、ようやく名実ともに第三次救急医療機関として救命救急センターの指定を受け、同院は、さらなる救急医療への重責を果たそうとしている。

 

backstage

バックステージ

●都心部における救急医療には、選択肢がある。つまり、A病院が受け入れ不可能であるならば、同等の機能を持つB病院へと、代替措置が取れるということだ。

●それに対し郊外部では、都市部のように医療資源は豊富ではない。限られたなかで、どのようにして地域で発生する救命救急に対応するのか。現場の疲弊感を抱えながらも、奮闘する救急病院は決して少なくない。江南厚生病院もこれまでその一つであった。

●そこに大きな期待を背負って赴任した竹内医師。彼が今、やろうとしていることは、地域を挙げての救急医療体制の構築である。通常の診療活動が<地域完結型医療>になった今日、救急医療においても<連携>を基軸に、病院同士が補完し合い、地域全体での適切な救急医療提供体制を創り上げようとしているのだ。

●竹内の試みが、同様の地域事情を持つ病院にとって、大きなロールモデルとなることをリンクトは願う。

 


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