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病院を知ろう

〈怖さ〉から〈自律〉へ。
研修医の成長が物語る、
半田型救急。

 

 

半田市立半田病院


限られた医療資源を、最大限に活用。
医師教育機能も併せ持った半田型救急で、
知多半島の救急医療を守り続ける。

main

半田市立半田病院は、知多半島唯一の救命救急センターを併設する中核病院。命に関わる重篤患者を広域圏から受け入れるという使命を持つ。
だがその一方で、受入要請のあった救急患者については、重症度にかかわらず受け入れる「断らない救急」を実践。
年間7000台の救急車搬送、2万5000名の救急外来患者に対応する。地域の実情を見つめ、
持てる医療資源を最大活用することで実現した、半田型の救急システム。そこには救命救急センター長の田中孝也医師の存在があった。

 

 

 

 

 

<怖い>と感じることが、成長を促す。

219032 ある日の、半田市立半田病院救命救急センター。そこにいる一人の研修医、初期研修2年目の松七五三 晋(まつしめ すすむ)
医師である。「5分後に救急車が来ます。交通事故で頭を軽く打った30代男性です」。看護師の声が聞こえると同時に、松七五三は準備に動く。間もなく救急車が到着。患者は、意識もあり、普通に話もできる。松七五三はスタッフに指示を与える一方、患者に丁寧に声をかけ、訴えを聞きながら、その応答の仕方、さらには体全体に違和感がないかに目を光らせていた。訴える症状はもちろん、患者さんの発するあらゆるサインを見逃さないよう、注意を怠らない。
Plus顔写真1 慎重さが滲み出る。だが、彼が最初からそうであった訳ではない。初期研修を始めた頃は、とにかくがむしゃら。救急現場でも、いわば勢いで臨んでいた。怖いものなし、である。だが、病院や人間関係にも慣れ、自分では順風満帆に研修が進んでいると思っていた矢先、<怖さ>を思い知る出来事が起きた。
 夜間の救急外来を「体調が悪い」と受診した一人の患者。松七五三は、診療を行うが、「正直、何がどう悪いのか、分からなかった」。そうこうしているうちに、患者の容態が急変した。慌てて上級医に助けを仰ぐ。上級医は素早く診断。動脈瘤が切迫破裂の状態だったから、体調が悪かったのだ。危機一髪で、治療が始まるのを見て、松七五三は冷や汗が吹き出た。上級医の迅速・的確な対応で大事には至らなかった。でももし自分の行動が遅れていたら…。「もっと早く自分にできることがあったはずだ」。悔しい思いが湧き上がる。
 そうした経験を重ね、松七五三は成長してきた。「この患者さんは危ないか危なくないかが、少しずつ肌感覚で分かるようになってきました」と言う。

 

 

半田型救急システムとは。

 219003 松七五三に<怖さ>を気づかせ、成長へと繋げた、半田病院の救急医療とはどのようなものか。大きく三つの要素がある。第一は<断らない救急>の実践。そもそも救急医療を担う医療機関には一次(軽症)、二次(中等症)、三次(重症)がある。そのなかで半田病院は、重篤な患者に高度な緊急治療を集中的に提供する、三次の救命救急センターである。だが実際には、一次、二次の患者も受け入れる。「何かあれば半田へ」という意識が、知多半島一円に根づいている所以だ。
 第二は、<帰してはいけない患者を、帰さない>能力と、それを担保する仕組み。松七五三の言葉を借りるなら「一見、軽症に見えて、実は重症のケース」を的確に見極め、治療へと結びつけていくことだ。
 それに繋がる形で、第三の<全診療科参加型救急>体制がある。救命救急センターからの要請には、いずれの診療科もすぐさま専門医が応え、専門的な診断を経て、高度な専門治療を開始する体制である。
 こうして病院を挙げ救急医療に臨戦態勢を貫くには、研修医といえども戦力とならなければならない。患者の初期対応は、原則として初期研修医が中心となって行うのだ。充分な経験を持たない初期研修医が、見逃しをしないよう、頻回に行う勉強会でレベルアップを図る。そして、各診療科の専門医や指導医が、研修医の診療における課題や、研修医の持つ疑問点に、適切なアドバイスを行う。もちろん、救急現場に赴き、連携しながらの診断・処置の実践もある。否が応でも研修医たちを鍛え育てる環境といえよう。
 これに加え、半田病院の救急における何よりの眼目は、同院唯一の日本救急学会認定指導医・田中孝也救命救急センター長の存在だ。田中は、前述のような、研修医を中心とした病院全体での救急を、後方からより広い視野で目を光らせ、コントロールする。特に緊急度の高い患者には、嗅覚でそれを察知し、コマンダー(指揮官)として現場を仕切り、適切な処置を施すのだ。

 

 

救命救急センター長、田中孝也。

Plus顔写真2 「最初は、戸惑いから始まった」と、田中は言う。まずは少し、彼の経歴に触れよう。田中孝也は、関西医科大学の救命救急センターで昭和52年から平成17年まで活躍し、准教授まで務めた。阪神淡路大震災では、自ら最前線で治療にあたった経験を持つ、救急医療の世界では名を馳せた人物だ。半田病院に赴任したのは平成18年。関西医大の同期生から「半田病院の救命救急センター立ち上げに関わってほしい」と請われ、それに応えたものだった。
 田中は語る。「私がいた大学病院は、当院と同じ三次救急で、基本的に三次救急のみを扱う病院でした。しかし、ここに赴任してみると、病院を取り巻く環境、つまり地域の状況が、まるで異なる。知多半島の医療事情、限られた医療資源、そこでの当院のあるべき姿…。三次救急だけでよいのか?と、戸惑いました。どう考えても、三次救急だけに特化はできない。広域圏の中核病院として、半田市の市民病院として、あらゆる救急医療ニーズに応えなくてはならないと考えました」。
219055 半田病院の果たすべき役割と真剣に向き合いながら、田中が出した結論。それが前述の三つの特色を持つ半田型の救急医療体制だった。「当院の持てる力を最大限に発揮し、地域の救急医療を守る。そのためには、確かな診断・治療能力とチーム全体をまとめる統率力を必要とします。私が最前線に立つとしても、それだけでは足らない。だから、救命救急センター自体を、医師教育のステージとしました。確固たるバックアップ体制で、患者さんの安心・安全への守りは固めた上で、主体的に考え、学び自律した医師を育てる。月に約1000人診るなかで、次は自分の下の医師を支える。救急医療と医師教育との好循環が形成できました」。

 

 

〈半田型救急〉を〈知多半島型救急〉へ。

219057 田中が見つめるのは、地域の救急医療を守る核としての半田病院である。そのためにこれまで半田型の救急医療体制を創ってきた。そして今、田中の視線は次のステージへと向かっている。<知多半島型>の救急医療体制の構築だ。
 知多半島には、三次救急を担う半田病院の他に、二次救急に対応する急性期病院がいくつか存在する。しかし、医療資源の不足などから、すべての病院が充分には機能していない。また、国が病院完結型医療から地域完結型医療へと政策を進めるなか、救急医療でも、地域全体を見据えたより広い視野での充実が求められている。
 田中は語る。「当院は、知多半島唯一の救命救急センターとして、地域を牽引していく責務を担います。これまでも地域の医療機関や救急隊と、顔の見える関係作りに取り組んできましたが、今後は、そうした活動をさらに一歩進める必要があります」。その一歩とは何か。「当院の医療リソースを、地域に開放すること。決して潤沢とはいえませんが、当院には、研修医をはじめとした人材が集まっています。そうした人材を地域の医療機関に出向させる、逆に、地域の医療機関からの研修を受け入れる。つまり、人材の還流を行い、中核病院として培ってきた救急のノウハウを伝えることで、地域全体の救急医療のレベルを向上させればと考えています。それが結果として当院の救急の疲弊を防ぎ、<断らない>救命救急センターとしての機能を、さらに高めることにも繋がると思います」。
 研修医が、専門医が、指導医が、そして、田中が不断の努力を続け、知多半島の救急医療を守る。その可能性は、知多半島全体の救急医療の明日を塗り替えようとしている。

 


 

column

コラム

●松七五三研修医は、今後も救急医療に携わっていきたいという思いがある。しかし、後期研修で松七五三が専攻するのは、一般外科。そこには救急医療での医師のあり方についての、田中の持論が大きく影響している。

●実は田中も、元は消化器外科医。そこから救急科の専門医、指導医へとキャリアを重ねてきた。そして、救急に長く関わるなかで、田中は一つの確信を持つに至った。「救急医療は幅広く患者を診るため、自分の専門性がどこにあるのか分からなくなる。いざというとき、自らが拠って立つ、専門領域を先に身につけることが大切だ」。

●実際、田中は大学病院時代にも、救急医療に関心を持つ研修医すべてに、専門領域として、本人が希望する診療科に進ませ、そこで必要な手技や技能、知識を習得させた。

●救急医療は、より総合的に患者を診る領域だからこそ、思考の基盤が求められる。松七五三は、その考えを真摯に受け止め、自分の専門として一般外科に挑戦しようとしている。

 

backstage

バックステージ

●知多半島医療圏は、愛知県の南西部に位置し、名古屋市の南部に隣接する半島全域と、篠島・日間賀島を含む5市5町からなる。この医療圏で、半田市立半田病院は、半田市の市民病院であると同時に、医療圏全体の基幹病院としての責務を担う。

●今日の地域医療は、医療機関同士の<連携>が重要であるが、知多半島医療圏では、今回紹介した救急医療においては、医療機関の一次・二次・三次の住み分けが容易ではないことがある。都市部の救急体制のように、医療資源が揃っていないのだ。

●こうした地域の実情に合わせて、創出された<半田型救急>。半田病院としても医療資源は無尽蔵にあるわけではないが、救急現場を教育のステージに創り上げることで、救急医療と医師教育の両軸を形成するに至っている。<断らない救急><帰してはいけない患者を、帰さない救急><全診療科参加型救急>。地域の実情と病院の状況を勘案した、地域のための救急である。

 


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