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病院を知ろう

患者を、家族を、孤独にさせない。
「生きる力」は私たちが支える。

安城更生病院


main私たちは、安城更生病院 血液・腫瘍内科チーム。緊密な連携をもとに、長く過酷な治療に臨む患者と、その家族を支え続ける。

「今、元気に生きているだけでいい」。そう語るのは聖川美保さん(30歳)。2007年、入籍直後の25歳のときに白血病を発症し、骨髄移植を含めた3カ月の入院生活、そして、再発を恐れた5年間を経験する。そこには、彼女と、家族と、安城更生病院の移植チーム、彼女を中心にすべての人が、一つの命を見つめ、生きる力を守り切った闘いがあった。

原因がわからず、孤独に陥った4カ月。

013 聖川さんが最初に感じたのは、腰の痛みだ。自宅近くの整形外科で椎間板ヘルニアとの診断を受け、コルセット着用の日々を送る。だが、なかなか良くならない。そのうち微熱が出始める。気だるい日々のなか、今度は歯が痛み出す。その痛みは、夜中に目が覚めるほど。麻酔をしたような痺れもある。受診した歯科では親不知が原因と言われ抜歯をするが、依然、熱は下がらず、痛みも引かない。
 「なんかおかしい」と彼女は思う。だが、腰痛や歯痛は人からは見えず、自分独りで痛みに耐えながら暗澹(あんたん)たる日々を過ごす。ひどい倦怠感。化粧をする気さえ起らない。そして次には、膝の裏に覚えのない紫色のアザを見つける。「やっぱりおかしい」。そう思いながら彼女は皮膚科を受診した。そこで初めて指摘されたのが、血小板の異常。すぐさま安城更生病院を紹介される。
 2007年10月10日、聖川さんは安城更生病院を受診する。診断は「急性リンパ性白血病」。最初に整形外科を受診してから4カ月が過ぎていた。
 入院直後から化学療法がスタート。だが精密検査の結果、染色体異常が判明する。もはや移植手術しか治療手段はない。幸運なことにたった一人の姉がドナーに適合。手術実施。2週間後、生着(※)。そして、翌年1月、聖川さんは安城更生病院を退院する。

※生着とは、移植した細胞が新しい骨髄で血液をつくりはじめること。

 

白血病と闘うという、みんなの決意。

014 告知の瞬間を、聖川さんは「すごくホッとした」と振り返る。4カ月間、まさに次から次へと自分を襲い、独り苦しみ続けてきた原因が、ようやく解ったからだ。白血病という病名、即日入院という事態も、「意外と普通だった。よく理解できていなかったと思う」と語る。
 入院2日目、彼女は主治医の血液・腫瘍内科代表部長・澤 正史医師から治療方針を聞く。そのときになって、彼女は自分の病気に現実感を持つ。説明の最後、澤医師から、延期にした結婚式の前撮りをすぐに行うよう勧められるが、彼女はそれを拒んだ。「だって絶対、遺影になっちゃうと思ったから」。
 彼女を説得したのは、澤医師から個別に説明を受けた夫である。「撮りに行く」。「撮りに行く…」。その言葉だけを言い続け、夫は初めて彼女に涙を見せた。夫の言葉が少なかったこと。それは澤医師の詳細な説明に加え、この日彼女の両親から「結婚を取り消してもいい」と告げられていたから。彼にとって前撮りとは、「これからも美保と一緒に生きていく」という宣言であった。
 撮影後、彼女に大きな心境の変化が起こる。「うれしかった!もう一回結婚式でウェディングドレスを着なきゃと思った」。病気に立ち向かう意志が、彼女に生まれた。
 姉がドナーに適合したことは、彼女のその後の人生を決定した。「うれしい」、でも一方で「迷惑かけちゃう」。電話で「ごめんね」と泣く妹に、電話の向こうでは姉が「良かった!」と泣いた。
 彼女が一番死を意識したのは、移植前の説明だったという。移植後5年の生存率を教えられ、「これだけの生存率しかないんだ」と初めて認識する。身体の芯から生じる恐怖感に、彼女は号泣する。そして、移植手術直前、姉からの「大丈夫!」という言葉に、「私は大丈夫!」と自分に言い聞かせ、手術に臨む。
 生着が確認されたのはクリスマスウィーク。夫、家族、友だち、みんなにとって「最高のクリスマスプレゼント」だった。

 

困難を極める骨髄移植。

624062 急性リンパ性白血病とは、リンパ系の幹細胞ががん化し、そのがん細胞が急激に増えるものである。治療の主体は化学療法と移植療法の2つ。基本的には抗がん剤による化学療法だが、治るのはおよそ3割。抗がん剤だけでは治癒が望めないケースや、また、一旦は抗がん剤で症状が改善された後に再発するケースには、同種造血幹細胞移植と呼ばれる移植療法がとられる。
 移植には、HLA/ヒト白血球型抗原(※)が一致するドナーが必要だ。しかし、身内で見つかる確率は兄弟姉妹で4分の1と低く、骨髄バンクでは通常最低でも4カ月かかる。
624115 澤医師は、聖川さんのケースを「特に治療が困難なものだった」と振り返る。彼女の染色体に異常が見つかり、早々に移植手術しか選択肢がないと解ったからだ。早急の移植が望まれるなか、たった1人の姉とHLAが合致し、「急に未来が開けた」と澤医師は語る。
 とはいえ、この移植療法自体、大きな危険が伴う。どんなに少なく見積もっても2割程度の治療関連死があり、移植療法の生存成績は全部合わせたら五分五分だという。
 緊迫した状況のなか、移植手術が無事終了。このときようやく澤医師は「治せる」という確信を持つ。あとは移植後5年間に再発がなければ、完治である。
 澤医師は言う。「移植療法は命に関わる治療です。理解できる方には充分な知識と覚悟を持っていただいています。副作用も強いため、ご本人の<治す>という気概が不可欠です。聖川さんは本人の意志はもちろん、周りの人に恵まれていた。ご主人、両親、姉、そしてご主人の両親がチームとなって彼女を支えていました」。

※HLA/ヒト白血球型抗原とは、白血球の型のこと。赤血球における血液型に相当する。

彼女を生還させた二重のチームの輪。

624008 聖川さんを支えた夫や家族。さらにその全員を支えたのは、血液・腫瘍内科の医師、看護師、コメディカルのチームである。同科では、移植に関わるスタッフ全員で緊密で質の高い連携をとり、治療のサポートは言うまでもなく、患者や家族を孤独感、不安感から救い、病気に立ち向かうことを手助けする。
 聖川さんが特に覚えているのは、初めての副作用による吐き気に驚き、ナースコールを押したとき。駆けつけた看護師は、彼女が落ち着くまで背中をさすり続け、吐き気は治療のなかで経なければいけない症状であることをやさしく教えてくれた。
表4 また、頻繁に襲ってくる不安感は、臨床心理士が時間をかけて解きほぐしてくれた。家族に言えない思いもあったが、「共感して聞いてくれた」ことが彼女には救いとなった。
 こうした聖川さんに関わる情報は、一人のスタッフからチーム全体に伝えられる。治療に伴い、患者に今どのような症状が現れているかはもちろん、精神状態はどうか。さらには家族の状況はどうか。それは患者と家族の輪を、さらに大きな輪が包んでいることになる。
 それは退院後も変わることがない。彼女は月に1回通院をしていたが、急に不安を覚えたときは、すぐ病院を訪れた。病院に行けば、採血で異常がないという安心材料がもらえる。そして何より、顔見知りの医師や看護師たちが出迎え、いつもの笑顔、他愛のない話で彼女の不安を和らげてくれた。再発という恐怖を抱える彼女を支え続けたのである。
 移植してから3年後の2010年12月4日、聖川さんは待ちに待った結婚式を挙げる。ずっと彼女を支え続けた夫は、最初の挨拶から号泣していた。
 今の心境を、「何をしても幸せ。元気で生きているだけでいい」という聖川さん。澤医師のことを「先生が〈先生〉で良かった」と語り、スタッフたちへの信頼感をこう表現する。「この病院にくれば大丈夫って思える」。

 


 

column

コラム

●安城更生病院は、三河地区で唯一の日本骨髄バンク、日本さい帯血バンク移植認定施設である。同院の血液・腫瘍内科は、骨髄バンクの設置以前から移植療法を行うなど、歴史は古い。澤医師は、赴任したときの同科の印象を、「まずは医師の数が多いこと。そして、コメディカルを含め、血液領域の新しい治療に挑戦する意欲の高い人ばかりだった」と語る。

●澤医師は、血液・腫瘍内科のやりがいを「診断から治療まで、すべて自分の責任で行うこと」だと言う。それはどの診療科にも共通するが、「患者さんとの密度というのでしょうか。患者さんの人生を受け止めることが必要であり、そのうえでの治療ですから」。それ故に、同科の医師たちは、常に新しいことにチャレンジしている。それは、安城更生病院が掲げる「常に成長をめざすこと」を、まさに体現するものと言えよう。

 

backstage

バックステージ

●安城更生病院の血液・腫瘍内科では、一つの移植を行うにあたりチームを結成する。医師、看護師、そして、臨床心理士、理学療法士、ソーシャル・ワーカーといったコメディカルが、あらゆる可能性やリスクを洗いだした上で、移植に臨む。チームとして、早い段階から患者や家族に関わり、患者と家族を孤独にしないことが目的だ。なかでも臨床心理士が、困難な治療ゆえに生じる患者の心理負担をケアしているのも大きい。

●もう一つの特長は、チームにリハビリテーションスタッフがいることにある。治療を始める前から、患者の社会復帰までをも見据えた取り組みであり、移植を受ける患者は病室内で筋トレを始める。いくつかの病院で同科を経験してきた澤医師から見ても、かなり「先進的なプログラム」。地域の基幹病院としての安城更生病院の姿勢を表している。

 


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