3,576 views

ƒvƒŠƒ“ƒg

小児看護を求め、追い続けた一人の看護師の物語。

太田有美/名古屋第二赤十字病院 小児看護専門看護師


 

main小児看護とは、「子どもとその家族が、持っている力を最大限に活かして、困難を乗り越えていくための支援」。そう語るのは、太田有美小児看護専門看護師。小児科病棟・循環器センター勤務、大学進学、一旦退職をしての大学院進学。太田は、遠回りをして小児看護への道を歩む。そのすべてが、彼女の血肉となって今に繋がる。

 

 

 


「子どもって、未知の存在だけど、可能性の塊なんです!」その可能性に、自らの可能性をも重ね合わせ、小児看護の道を歩む。


 

子どもの声が聞こえますか?

4 日本赤十字本社が主催する「幹部看護師研修」。筒井真優美教授(日本赤十字看護大学大学院)による小児看護教育の受講者のなかに、一人、興奮気味の看護師がいた。
 彼女の眼は、テキストにある「子どもの声が聞こえますか?」という筒井教授の言葉に釘付け。耳に響く、「看護師の私たちは、ちゃんと子どもの声を聞いているでしょうか?」という教授の声。彼女の脳裏に、小児科病棟での光景が鮮やかに蘇っていた。「あのときあの子、『ママ、ママ!』って泣き叫んでた」「あの子はずっと私の後を付いて歩いてた」。「そこにあったはずの子どもの声を、自分はきちんと受け止めていたか?」。
 研修での実習先の小児科病棟で見た、変わらぬ「子ども」たちの姿。その子どもの声を、一所懸命に聞きとろうとする看護師たち。彼女は心のなかでこう叫ぶ。「私がやりたいのは、やっぱり小児看護!」。
 最終の講義で、彼女は教授の側に走り寄り、「先生のところで学びたいんです。どうすればいいですか!」と思いをぶつける。「大学は出ているの?」「いいえ看護学校です」「まず大学を出なさい」。
 研修期間が終わるや否や、彼女は、すぐさま行動に出る。まずは、放送大学に入学願書提出。入学後は単位取得に集中する。同時に、ICUへの異動願いを病院に提出という一策を講ずる。目的は、「ICUは、小児科病棟以外で唯一小児がいるところ。重症の子どもを看ることができれば、私、もう怖いものはない!」。
 名古屋第二赤十字病院・太田有美看護師にとって、幹部看護師研修は、<自分の本当の思い>を取り戻した人生の分岐点であった。

スペシャリストか、管理職か。

2 太田の新人看護師としての第一歩は、明るいスタートだった。希望する小児科病棟での勤務。新人ゆえの一所懸命さや熱意を、周囲のみんなが見て励ましてくれた。毎日が充実し、自分の欲しいものがそこにある。「休日にも病院に出てくるくらい楽しかった」と太田は笑う。
 小児看護の魅力は何か。「子どもって、どんどん変わっていく。私が手を貸すことで、子どもの世界が大きく広がる。少しきっかけがあれば、スルッと困難を乗り越える。それが見ていてよく解る」。当時はまだ、行為としての小児看護に満足する太田であった。
 変化は4年目に訪れる。循環器センターへ異動となったのだ。3年で小児科病棟に戻すという約束で、彼女は納得する。理想的な患者との関係から、緊迫した命との闘いの前線へ。指折り数えて3年を過ごす。だが、約束の月日となっても、異動の話は一向に出ない。「戻してほしい」と訴え続ける太田に、「それはあなたのためにならない。ここでもっと学べるはず」とセンターの師長は説く。
 3年が4年、5年、6年。
 年月のなかで、太田は、小児科病棟へ戻れない自分に、少しずつ理由を付けていく。「小児をやりたくても、成人を知らないではだめよね」「自分のやりたいことだけ、やれるわけじゃないよね」。しかしその一方で、循環器センターでの日常は、太田ならではの一所懸命さにあふれていた。
 看護師としてのキャリアステージを考えたとき、大別すると、スペシャリスト、ジェネラリスト、管理職に分かれる。循環器センターでのキャリアを重ね、指導者的な立場にも成長。また、持ち前の明るさ、包容力を持つ太田は、病院の視線で見れば、管理職として逸材と言えよう。それを知ってか知らずでか、太田は自ら前述の「幹部看護師研修」受講を希望する。循環器センターに腰を据える。入職して10年目のことであった。

研究と臨床を繋ぐ。

3 専門領域を極めることは、どの職業でも容易ではない。看護職では、「専門看護師」が一つの象徴。資格取得のための教育は、いわば日本の看護教育では最高レベルだ。指導者側にも、単に高度な知識や技術を教えるのではなく、新しい看護を創造する人材としての期待感がある。
 その専門看護師資格の取得を、太田は大学院入学とともに決めていた。ICU勤務時代、子どもにとって必要な社会的支援があっても、病棟スタッフでは、そこまで手を出せない現実を知ったからだ。
 希望を胸に大学院に進む太田。待っていたのは、彼女の想像を絶する日々だった。「講義形式の授業はほとんどありませんでした。小児発達理論、家族理論などの課題に取り組み、学生同士でプレゼンテーションし議論する。その繰り返しでした。はじめは必要な資料の文献を探すのでさえ大変でした。必要な文献を探してもどうまとめるかなどゼロからの積み上げでした」。
 そこまでを求められる専門看護師とは何か。太田は、「実践の学問である看護には、まだ漠然としている部分がある。その一つひとつにエビデンス(根拠)を付け、言語化して体系化する。それをさらに、現場の看護師が理解できるよう一般化する。それが専門看護師」と言う。
 確かに、どれだけ研究を重ねても、看護現場が変わらなくては、患者に還元されない。着地点を患者として、<研究>と<看護現場>を結ぶ、それが専門看護師の使命であり、機能である。
 その過程を経て、太田は何を得たのか。「気持や姿勢は変わらない。ただ、経験だけで動いていた頃とは違い、今は、理論を使って現象を説明できる。事例ごとに、一番効果的な対応が解る。そして、複数の人を機能的に動かして効果的なアプローチができる」。

もっと、もっと、看護を。

1 平成22年、太田は小児看護専門看護師として、6年ぶりに名古屋第二赤十字病院に戻る。
 かつての小児科病棟時代とは違う視線を持つ彼女が病院を見たとき、まず感じたのは「看護は充分にできているのか」ということだ。患者と接する時間が多かった以前と比べ、スタッフは事務作業に忙殺されていた。「看護師の思いを知って支援したい」。そう考えた太田は、1年間観察を続けた。そして、行動に出る。例えば、検査前の子どもへの説明と、検査に向き合うための支援。彼女は病棟看護師たちの前でそれを見せ、説明し、理解を求めた。これまでとは違う看護の動きに、少しずつだが病棟に変化がきざす。スタッフが議論をし始めたのだ。
 そして一方で、看護外来をきっかけに、彼女の眼は、社会に向う。太田は言う。「外来は、生涯、医療を必要とする人にとって、生きるためのインターフェイスです。そのサポートを医師は病気から、看護師は生活からの目線で考えないといけない」。例えば、発達障がい。これは病気なのだと社会が認める。そして認めたときの支援をどうするか、それが必要。母親や学校への説明、児童相談所や療育センターなどとのカンファレンスが、最近の太田には増えてきた。もっと社会に出ていきたいと彼女は願う。
 一旦は、管理職への道に歩みかけた太田。だが、自分の本心を見つめ直し、自らの力でスペシャリストとしての極みを手にする。彼女は言う、「生き抜くために必要なら、子どもは必ず信号を発信する。大切なのは、大人がその信号に気づくこと。子どもって、未知の存在で、可能性の塊なんです」。では、小児看護とは何か?「子どもとその家族が、持っている力を最大限に活かして、困難を乗り越えていくための支援!」。


 

column

コラム

●日本赤十字社は、明治23年から看護師の養成を開始。その歴史は120年を超え、これまでに10万人以上の看護職者を輩出している。卒業生の多くは、全国の医療・教育施設で働くほか、国内・海外において、災害救護や紛争地域での救援活動でも活躍する。

●看護職者は、医療機関に入ると、それぞれの教育体系のもとに教育を受け続けていく。換言すると、個々の医療機関によって異なった教育であり、水準にバラツキがあることは否めない。

●それに対して赤十字社は、本社に「日本赤十字社幹部看護師研修センター」を擁し、将来、幹部としての活躍が期待される看護師などに、赤十字の理念を根幹とした、独自の教育体系に基づく継続教育を施している。これは赤十社ならではの強みであることは言うまでもなく、わが国の看護師教育に対して果たした役回りには大きなものであろう。

backstage

バックステージ

●現在、全国で96名、愛知県では3名の小児看護専門看護師がいる。太田は「小児看護専門看護師の活躍の場、役割を拡大させて、地域の子どもたちが暮らす環境を整える必要がある」と話す。その一つとして、小児看護専門看護師の実習生を受け入れ、資格取得に向けた支援を行なうなど、まずは地域に小児専門看護師を増やすことに取り組んでいる。しかし、がん看護や急性・重症患者看護などの専門看護師に比べ、小児看護はあまり多くないのが現状だ。

●いずれの領域の専門看護師でも、太田の例と同じく厳しい学びの期間を必要とされる。だが、その多くは、診療報酬に算定されていない。病院においては、いわば持ち出しということになる。まずは、専門看護師という極めて高度なスペシャリストの仕事に、社会が対価を認めること。それが、専門看護師をめざす人、めざした人たちが働く場所を整備することに繋がっていくのではないだろうか。

 


3,576 views