Plus用バナー5.jpgPlus用バナー5.jpg

top.psd

若き医療人が、夢と誇りを持ち続けることができる。
江南厚生病院を、次代の医療者を育む場とする。

リード写真.psd

Episode 01 /

働く医療者の能力を引き出す。


907348.jpg 「ここをまず見てください」と、加藤が案内してくれた外来の診察室。そのバックヤードに、私たち取材班は驚いた。動線はすっきりとし、余分な気遣いを必要としない広さ。「医療者が、環境に煩わされることなく自らの能力を最大限に発揮すれば、自然と、より質の高い医療を患者さんに提供できる」。加藤のそんな思いが伝わってくる。
 「血液内科では、骨髄移植を年間20~30人できる環境を整えました」。「内科には、早期胃がんの新しい内視鏡手術“ESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)”のスペシャリストがいます」。「整形外科の脊椎手術にはね、尾北地区のかなり遠い所からも、患者さんが部長医師を頼って、難しい手術を受けにきてくださるんですよ」。「ここは、新生児の集中治療ができるNICU(新生児集中管理室)やGCU(継続保育室)がある小児科です」。院内を回りながら、医療技術、人材、設備を語る加藤は、常に笑顔だ。
 この病院は…、と私たち取材班は考える。地域で発症するあらゆる病気に対応する高度な医療。地域を超えて患者が集まることで、医療者にも選ばれる専門医療。すなわち、地域の中核病院としての使命を果たす機能をしっかりと整えている。加藤は言う。「地域の住民の一番近くに、最も信頼できる病院があり安心して暮らせる。それが一番いいことです」。

Episode 02 /

信念だけでは越えられない。

907129.jpg 昭和病院の開院は昭和11年である。市民病院がない江南市で、長く市民病院的な役割を果たしてきた。だが、昭和47年、加藤が研修医として最初に訪れたときは、建物の老朽化は進み、地域住民も「ここでは…」という状態だった。4年間の研修後、一旦、彼はこの病院を離れる。そして、昭和57年、相変わらず古くて狭い昭和病院に、血液内科の新進気鋭のドクターとして再び赴任した。
 まず加藤は、自らの専門性を大きく活かすことを考えた。それは、血液の専門医がほとんどいない尾北地区で、昭和病院を骨髄移植ができるセンター病院にすること。最新治療技術の整備に心血を注ぎ、ついには実現させた。「建物がどれだけ古くて不便でも、しっかりとした医療を提供しさえすれば、住民の信頼は得られる」。加藤の信念であった。
 だが現実は、彼の横をすり抜ける。重い病気と診断された患者の多くが、いざ治療となると姿を消し、名古屋の有名病院に行ってしまうのだ。この病院できちんと治療はできるのに! 歯がゆい。悔しい。「こんな思いを後輩の医師たちにさせたくない」。
 診療科の充実に全力を注ぎ続け、平成11年、加藤は昭和病院の院長になった。そこに待ち受けていたのは、医師不足問題である。なかでも若い研修医が昭和病院には来ない。それは、最新設備が整い最新医療が学べるという、研修医にとっての魅力が昭和病院に欠けているということ。
 医師への信頼はあっても、建物や設備への信用が得られない。最新の医療環境がなければ、患者にも、若い医師にも選ばれない。加藤は、信念だけでは飛び越えられない、高い壁を思い知った。

Episode 03 /

尾北における千載一遇の好機。


907238.jpg
 加藤が院長になった後に、同じく建物の老朽化と医師不足に悩む、愛北病院との統合の話が持ち上がった。平成15年には、正式に決定。「2病院を統合し高機能病院を創る。新病院ができれば、志の高い医療者も必ず集まる。これは尾北地区の地域医療を守り抜く千載一遇の好機だ」と加藤は思った。
 “尾北地区の医療を守り抜く”。その言葉には、地域に対する彼のひたむきな思いがある。なぜなら、現状のままでは、地域住民が重病になったとき、すぐ近くに病院があるのに、遠く一宮市や小牧市の病院まで救急車で運ばれることになる。昭和と愛北を統合し、高機能病院として生まれ変わり、この地域の医療を守る。
907422.jpg 病院長は加藤に決まった。開院となる平成20年春には、愛北病院の院長は定年を迎えられるからだ。まさに天の配剤と言えよう。
 統合までの道程は平坦ではなかった。まず、新病院の診療体制を決める。それには医師の供給元となる大学医局に、将来にわたって安定的に医師を供給してもらうことが前提だ。大学医局に対する折衝、調整は極めて重要となる。さらに、新病院での体制が決まったとしても、開院までの間、二つの病院での医師確保を同時に続けることが非常に難しい。
 二つの組織が一つになるとき、部門ごとにどちらが主流になるか、当然、問題は起こる。
 それを推し進めるには、トップとなる人間が全責任でビジョンを描き、各部門の責任者を決めていくしかない。もちろん異論は出る。しかしこれしかまとめる手立てはないのだ。加藤にとって厳しい月日であった。「いいえ」と彼は言う。「私はいろいろな方に、新病院のビジョンを語り続けただけ。職員みんなが、新病院への夢を持ち続け頑張り通してくれたんです」。加藤の強いリーダーシップが人の心を繋ぎ止め、二つの病院の統合を成功へと導いた。

Episode 04 /

“江南医塾”という夢と理想。


907239.jpg 「病院で本当に大切なのは医療者、〈人〉なんです」。加藤は真っすぐな目で語る。「地域に対しては、患者さんとともに職員が一緒になって病気に立ち向かう。院内においては、すべての職種が互いに切磋琢磨し合って高め合う。そうありたい。だからこそ、病院にとって大切なのは建物ではなく、〈人〉なんです」。
 理想は、吉田松陰の松下村塾だという。ただ、物置小屋を改装した松下村塾と大きく違うのは、日進月歩で科学技術が進む医療界で、若き人材を集め、育て、良い医療を追求するには、最新の設備や医療機器が不可欠なことだ。だから、器を作った。患者と地域の医療を守りたいという志を持った、将来の医療者を育てるために、必要十分の器を。
 加藤は平成25年3月、院長の任を終える。「胸部外科だけは心残りなのですが…。私が自分の持ち時間のなかでできることは、すべてしてきました。病院の未来は、ここで育った次代の医療者たちに託したい」。その表情は晴れやかだ。加藤の夢と理想は、その後ろ姿を見て育った若き医療者たちが、必ず引き継いでいくだろう。
 江南厚生病院、それは“江南医塾”。「医療は人である」という信念を胸に、闘い続け、歩み続け、地域の医療を守り抜いてきた、「内科医 加藤幸男」が創り上げた夢と理想。
 加藤の背中に、敬意を表したい。

COLUMN /

コラム.psd

●今日では、医師不足により経営不振の窮地に立つ病院が多い。その解決策の一つとして、病院の統合再編がある。しかし、複数の病院を一つにする場合、各病院の医師の所属する大学医局の違いや、それによる医療文化・風土の違いから、さまざまな問題が浮上する。その道程は長く困難で、途中で断念されるケースもある。

●昭和病院と愛北病院の統合の成功は、モデルケースとなるだろう。成功の大きな理由の一つに、リーダーシップの存在がある。「二つの病院をまとめるには、なるべく早く新病院の院長を決め、そこに全権を渡すことです。異論は山ほど出るでしょう。だからこそ、最高責任者が全責任を持って指示をしていかない限り、物事は動かないのです」と語る加藤院長。その強いリーダーシップで、統合を成功に導いた。

BACK STAGE /

バックステージ.psd

●血液内科の専門医としてスタートした加藤院長。「地域の内科医というのは、軽症から重症まであらゆる症例を診ることができ、総合的に診断できるのが当たり前」と考え、常に広い視野で患者の全身を診るよう努めてきた。今日では、診療科が臓器別、疾患別になり、内科医でも自分の専門分野だけに特化する医師が増えてきているが、加藤院長は常にFace to Faceで、人を診る医療を提供し続けてきた。

●加藤院長は、平成25年3月定年を迎える。その後について、取材班は医療過疎地のある病院院長から貴重な話を聞いた。「私たちの病院で、週に何回か一緒に診療活動をしてくれるのです」。“加藤幸男”の医療者としての歩みはまだまだ終わっていない。内科医として、さらなる探究の道は、これからも続く。


ACCESS /

愛知県厚生農業協同組合連合会
江南厚生病院
〒483-8704 愛知県江南市高屋町大松原137番地
TEL 0587-51-3333
http://www.jaaikosei.or.jp/konan/LinkIcon